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ハーレム国家-建設編-
官能リレー小説 - ハーレム

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ハーレム国家-建設編- 24

…最初の大規模蜂起の失敗…『エイベルスの大虐殺』で両親を亡くしたラングが弟と共に夫を亡くしたマニシュに引き取られたのは10歳の頃…そこからの動乱の時代をマニシュを中心に、マニシュの夫の妻だった女性達とその子供達…マニシュと7人の娘、それにラング達を合わせた集団で暴動の度に放浪せねばならない生活…やっと辿りついた難民キャンプも生活は困窮を極めた。
逃げ惑うそんな生活は、まだ少年だったラングに『誰よりも強くなりたい』と言う気持ちを強させていった。

辛い逃亡生活と難民キャンプでの困窮した生活は、その少年に強さを与えるに十分な環境だった。
起伏が多くなく、草原の多いオーディエンスでは、古来より農業と共に遊牧が盛んな地域だった。
各地から逃亡してきた難民達は定置生活の農民が殆どであったが、遊牧民達は彼らを暖かく迎え『遊牧生活をしながら移動する難民キャンプ』と言うものがいくつもできる事になった。
それが結果的に大陸軍が反乱の芽を全て摘み取れずオーディエンス解放に繋がった一つの要因になった。

ラングも、とある遊牧民の難民キャンプに逃げのび、そこで生活する事になった。
馬に乗り家畜を追い、移動を続ける遊牧生活は厳しく、農民が殆どの難民達は苦労を重ね、女達は家畜の乳だけでなく自分の母乳まで搾って生活の糧にしていた程…ラングの所もマニシュ達の豊富に出る母乳が生活の糧になった事は言うまでも無い。
だが、苦しい生活は難民少年達に頑強な身体と精神を与え、特にラングは遊牧民の子供達と遊びながら戦闘術を鍛え、いつしか彼らからも一目置かれる実力を備えるまでになっていた。

そうなるにつれ、ラングの片腕的存在になるグラウキースはその遊牧民の族長の息子だったが、ラングに心酔し自ら子分になり、他の遊牧民の子弟達もラングをリーダーと認めるようになっていく。
十代後半の頃には、ラングは遊牧民達からだけでなく、難民キャンプの者達からもリーダーとして認められるまでになり、解放軍の中核になる人間もこの時ラングの周囲にいた者が多い。
その中にはシーラとその姉妹…シーラの異父妹になるエミリアやカタリナなどラングの姉妹のように育った者もいる。

そんな頃から解放軍蜂起と独立戦争を戦い抜いていた時には、こんな生活になるとはラングも想像だにしなかった。
いや…解放後の事なんか全く考えも想像もできなかったと言う方が正しい。
「こうなるんだったら…王なんかなるもんじゃないなぁ…」
机に向かうのは相当苦手…殆ど書類の内容も解らないラングである。
苦痛以外の何者でも無い。
「はいはい、ラング様!…剣や槍を振るうだけじゃなくて、これも戦争なんですよ…しっかり戦わないと!」

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