神アプリ 81
「収入が何なんだよ」
「結婚するということは、その人を養っていくということだ。当面は2人だろうが、やがて子どもも産むだろう。生活費、育児費用、何かとお金が必要になってくる。お前たちは今どれだけの貯蓄があって、この先どういう生活を望み、どういう人生をともにしたいのか、ちゃんと話し合って“今”という決断をしたのか?」
父親の言葉には人生の先輩として重みがある。実際彼は生涯設計を立てた結果、37という歳で結婚という選択に踏み切っている。10年もの間“事実上の妻”でいた母親も大したものだが、その母親と幸せになろうという意思を持ち続けた父親も大したものだ。
「俺たちは俺たちなりに真剣に考えたさ」
「何年間、真剣に考えたんだ?」
「な、何年!? ぐ、ぬぬ……時間の問題じゃない。濃さの問題だ」
「ほう……どう濃い話をしたのか、1から10まで聞かせてもらおうじゃないか」
(始まったよ……)
翔真の口から重い溜め息が漏れた。
山となった父親を動かすのは無駄骨で終わるのが常ではあるが、今回は諦める訳にもいかず、和彦は果敢に押して引いてを繰り返している。
和彦の横では彩月がおろおろしており、母親は、
「あの人は結婚に賛成してるからあなたたちのホンキを訊いてるのよ」
と不安げな彼女に伝えている。長年彼の妻をやっているだけのことはあり、父親の心情が手に取るように分かっているようだった。
「さ、トイレにでも行こうかな」
長くなりそうな話に痺れを切らし、翔真は腰を上げた。
翔真が戻ってきても客間の様子はあまり変わっていなかった。強いて言うなら、父親と和彦の戦況は相変わらずだが、嫁と姑になるかもしれない彩月と母親の方は話題を転々としながら距離を縮めつつあった。この不思議な光景に翔真は頭を抱えた。
「こうなったら、男同士とことんやったらいいさ」
翔真は呆れ混じりに提案し、和彦と父親を交互に見遣る。
「挑むところだっ」
「無論」
2人とも異論はないらしい。
翔真の口の一端が微かに歪んだ。
「じゃあ俺たちはもういいかな。男の、しかも親子の対決に気が散るようなことがあったら悪し。な、母さん?」
「そうね。もうどうにもできないし……」
す、と母親が腰を上げる。
「さあ、彩月さんも……」
「は、はあ……」
腑に落ちない様子の彩月だが、郷に入れば郷に従えということで、正座を解く。本当は不可逆的な力がノーの選択肢を奪っており、その状態に対して彼女自身が理由をこじつけているのだが、彼女はそのことに自覚がない。
────翔真は血の繋がった家族をもスレイブに貶め、その代償に彩月を手に入れたのだ。
田畑を貫く農道を白い車が走っていく。農道といえども、軽トラック同士が対面しても難なく擦れ違える程度に道幅があった。そのため地元の人間は、市道に抜ける近道としてよく利用していた。
「いやあ、兄貴が結婚ねぇ……」
ハンドルを握っているのは翔真だった。あまり車を運転する機会がない彼は、実家に帰る度に車を走らせている。車通りの少ない田舎道は感覚を取り戻すのにもってこいなのだ。
助手席には彩月がいる。市街に出るという翔真に誘われ、何もないところだから行ってらっしゃいという彼の母親の後押しもあり、こうして同伴している。
運転席の翔真と助手席の彩月。2人の距離は1メートルもない。それが意味することを翔真は当然知っており、頬の上気に照れの赤らみを重ねる彩月に黒い笑みを浮かべていた。
「そう言えば、兄貴の何処が好きなのかまだ聞いてなかったよね?」
翔真に問われ、彩月は恥ずかしそうに俯いた。黒いサーキュラースカートから伸びている黒いストッキングを纏った足をモジモジとすり合わせ、ちょこん、と膝の上で揃えている手に微かに力が籠った。
「あ……その……──」
「身体?」
驚愕のあまり、翔真の顔に目がいっていた。
「週にどのくらいヤってんの?」
信じられないと言いたげな彩月の顔が、カァァ、と赤く染まっていく。
この人は平然と何を訊いているのだろう、と人格を疑う。しかし彼は婚約者の実弟。彼にまで結婚の話を渋られてしまえば、和彦と結ばれなくなってしまう可能性もある。
(義弟になるんだから、機嫌を損ねないようにしなきゃ……)