神アプリ 54
「ね、ねぇ……里美……誰……?」
恵理がようやく発した言葉は湿っていた。視線は来訪者から動く気配がない。
里美もうっとり視線を向けたまま、腰をもじもじさせている。
「お隣の──」
「お隣!? 白馬の王子様!!」
ダン、とテーブルを打って身を乗り出した知代は、次にはもう鞄からクッキーを取り出して早足に彼へ近付いていく。しかし一瞬その歩調を乱し、全身をゾゾゾと震わせた。
「あ、あのぉ……私、眞鍋知代っていいます……えっと、えっと、この間は、ありがとうございました……これ、お礼です……」
知代はつぶらな瞳を蕩かしてクッキーを差し出した。あと二歩も進めば彼の胸へ到達できそうな距離に入って恋愛感情に拍車をかけているのだろう。一目惚れの硬直状態にある恵理はそれをただ羨んでいる。
「君が知代ちゃんか」
彼は知代の両手にちょこんと乗っているクッキーの包みを取った。
「私のこと、知ってるんですか……?」
「うん。とっても印象に残ってる」
彼がそう答えると途端に知代は頬を綻ばせ、ぽ、と赤くなった。力が抜けそうなのか、やや膝を内側に寄せてもじもじしている。
里美も相変わらずなのだが、時々腰や肩をピクンと跳ねさせている。惚けたように口を開いて、荒い呼吸を繰り返しているようにも見える。
「あの……彼女とか、いるんですか……?」
里美の反応が気にならないのか、知代は当初の予定通りに攻め込んでいく。
冗談だと思っていた恵理は今非常に焦っていた。しかし半面、友だちを裏切ることは避けたい。けれども、張り裂けそうなほど胸が高鳴っているのは事実で、誰かに盗られたくもない。
そんな葛藤を続ける中、知代の問いに答える里美の声が聞こえた。
「彼女はいない……でも、誰とも付き合わない……ううん、1人だけ選んだりしない……そうですよね?」
里美がうっとりと彼を見上げる。
彼は頷いて答えた。
「どうして……?」
「私も……好きだから……」
「え?」
知代が小さな声を上げる中、里美は彼の胸板へ片手を添える。若干腰を捻ったことで里美の臀部をネチネチと撫でている彼の手が恵理の目に入り、彼女は頬の紅潮を広げた。
「こんな気持ち初めてなの……だから、他の誰かを選んだら死ぬほど悲しい。だけど私を選んでもらったら、知代も死ぬほど悲しいでしょ? だから1人だけ選んだりしないんだって。そうすれば、私も知代も悲しまなくて済むじゃない?」
「……じゃあ、私と里美と、一緒に好きになったらいいってこと?」
「うん、まあ、そんな感じなんじゃない?」
「スペシャルナイスなアイデアだね……」
まだ何処かにいる冷静な恵理はおかしいことこの上ないと思っているのだが、目の前で展開されている恋愛模様には友情の決裂は見られない。そしてその事実は、それが正しい在り方だという考えを膨らませていく。
一般常識は人が作り出したもの。感情は神が授けたもの。複数の好意という感情が1人の青年に向くのは有り得る話で、それを一般常識で縛る方がおかしい。世界へ出れば多夫多妻制という、神の悪戯にも対応した地域も存在している。おかしいのは愛を縛ろうとする日本の法律の方だろう。
「まあそういう訳だ。想いは受け止めてあげるよ」
そう言われ知代はクラクラとよろめき、しなだれかかると、蕩けた視線で彼を見上げた。
彼は知代の身体を片腕に抱きとめ、捧げられている唇に唇を重ねていった。
(あああ……知代ってば……)
恵理は、舌まで差し出す知代の恍惚としたエロチックな表情に赤面していた。しかし、いやらしく絡み合い軽い水音を立てる舌の戯れから目が離せないでいた。
「んふぁ……ん、んふ……ふはぁぁ……」
知代はぴっとりと寄り添ってねちこく接吻し、耳の先までほんのりと赤くなっている。彼の片腕に細い腰を抱かれ、身をふるふる震わせている。
「ねぇん……私もしてぇ……」
撫でられている臀部をフリフリと揺らして、里美が甘える。その声は恵理が初めて聞く、女の自分でさえゾクリとするほど艶やかな響きをしていた。
「帰ってきたら何かやることがあったんじゃないか?」
「やぁん……冗談だと思ってたのにぃ……」
甘く訴え、駄々をこねるようにくねくねと腰を捩らせる里美は、ぶわ、紅潮を広げた。
「知代も恵理もいるのに……」
里美は胸板に添えた片手をそろそろと下へ這わせながら、濃厚なキスに夢中の知代と、淫猥なムードに侵されていく自分を、恥ずかしそうに窺う。