参謀ディオン・ファントスの一生 5
その言葉通り、既に政治の舞台は動いていたのであった。
アルティレニア帝国、帝都グリヴィア・・・
その中心部の帝城ノーラ・グランデの西宮殿。
ここは皇帝の私室のあるプライベートなエリアである。
その宮殿の庭に面したテラスに、威厳のある壮年が寛いでいた。
レオニア・ド・アルティレニア・・・
第八代皇帝、レオニア二世である。
テラスの椅子に座り、大陸南部産の紅茶を嗜みながら寛ぐ皇帝の後方に跪くのは皇女ソフィーリア。
プライベートなエリアでの謁見は皇帝の配慮なのだろう。
「此度の敗戦、誠に面目次第も御座いません・・・どのような罪でも受ける所存です・・・」
皇帝は庭を眺めでいたが、少しして震えるように笑い出すと、次第に爆笑に変わる。
「鼻を折られて良い顔になっておるぞ、皇女よ」
それは皇帝と言うより父親としての言葉だろう。
だが、若い皇女は恥じ入り顔を赤らめる。
「陛下に託された多くの兵を失ったのです!、笑い事ではありません!!」
彼女の言葉に皇帝は笑いを止める。
その顔は皇帝の顔となっていた。
「既にオルタンスからは和睦の使者が来ておる・・・予はオルタンスとの和睦に応じ、かの国は賠償金を支払う事を約束した」
ソフィーリアは意味がわからず呆けてしまう。
確か、負けたのは自分の筈だった。
「勝ち戦で将を罰する法等、我が国に存在せぬ、ソフィーリア元帥よ・・・」
何故勝ったのか・・・
理解できぬ事に皇女は混乱していた。
「予もかの国を見誤っていた・・・何とも小憎らしい『負け方』をするものよ」
またもや皇帝が笑う。
どこか満足気な笑いに皇女には見えた。
「何故・・・で、ございますか・・・」
「それが政治よ・・・勝ち戦をして負けを認める、故に我らはかの国へ軍を進められぬ・・・故に南部遠征も練り直しじゃな」
まだ若い皇女には理解しえぬ部分・・・
オルタンス首脳陣が送った使者こそ、この戦いの最も重要なものであった。
何故ならオルタンスにとって帝国と戦い続ける戦力などこれ以上は無い。
だからと言って帝国軍の進行を許せば、生命線である南部地域との交易路を失う。
故に挑んだのがこの戦いな訳だ。
そして、その戦いに勝ったとは言え、帝国が本気になればひとたまりが無い。
ある意味、オルタンスにとって負けが決まった戦いだったのだ。
だからこそ戦場の勝利の後、早速に和睦を申し込んできた訳である。
帝国がそれを切れば、南部諸国が義理を果たしたオルタンスに味方するだろう。
そして敗北条件で和睦しておけば、帝国から攻めれなくなる。
負かした相手を攻めれば、それこそ全世界を敵に回しかねない。
つまり、負ける事によって勝利をつかむ・・・
その勝利の代償としての賠償金等安いものだろう。
ソフィーリアはそれを聞いて唇を噛む。
ただ一回の戦術的敗戦を、政治力で戦略的敗戦にされたのだ。
更に気は沈み、涙が溢れてきた。
「なら、我が罪は万死に値するものではないですか!」
「何度も言ったが元帥よ、勝ち戦に罪は無い」
歳相応の少女の顔に戻ったソフィーリアは涙をポロポロと零しながらイヤイヤと首を横に振る。
そこに姫将軍の面影は無かった。
「仕方のない娘じゃ」
皇帝の顔が父親の顔に戻る。
そしてソフィーリアを抱え上げると椅子に座り直し腹ばいに膝に乗せた。
「な?!、何をなさりますっ!!」
「そんなに仕置が欲しいならくれてやろう、ソフィーリア」
その格好で、皇帝は平手で皇女の尻を打つ。
パチーンといい音と共に皇女の悲鳴がこだまする。
「ととさまっ!、痛いっ!、痛いっ!」
「悪い娘には仕置じゃ!」
すっかり少女に戻って泣き叫ぶソフィーリアに、皇帝は何度も尻を打つ。
これは罰と言うより、父親による子供への折檻であった。
散々に尻を打ち、泣きじゃくるソフィーリアの頭を撫でてやりながら、皇帝は『さて、いかがするかな・・・』と、不敵に笑うのだった。
アカネリア会戦、またはアカネリアの奇跡とも呼ばれるこの戦いの歴史上の総括は、戦術的失敗を戦略的に逆転させた皇帝レオニア二世の手腕が評価される事が大きい。
それはこの当時も同じてあったが、当事者にとってはまた違うものであった・・・
オルタンス公国公都リューベルク。
公都と言えど、帝国とは6分の1程の人口しかない公国であるから地方都市並の大きさ。
そう大きくもない港町である。
この港町にもアカネリアでの勝利の一報が届いていたが、沸き立つ雰囲気は殆ど無い。
むしろこれからの帝国の報復を気にする者が多かったのである。
故に公国軍の凱旋も、パレードと呼ぶ程の熱気はなかったのである。
「全く!、あたし達が勝ったと言うに・・・シケたツラだよっ!」
「そりゃあ、むしろ『勝ってしまった』からでしょうぜ」
大通りを進むカルラが毒づくと、副官が肩を竦める。