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逆転!関が原
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逆転!関が原 8

秀忠は江戸落城の報を受け全軍を解散。千人の手勢と共に大坂へ向かい、西軍に降伏した。

11月、大坂城の千畳敷の大広間で会議が開かれた。出席者は毛利輝元、宇喜田秀家、石田三成、小西行長、島津義弘、長宗我部盛親、長束政家などの主な西軍大名が中心であった。また、豊臣恩顧の加藤清正、浅野幸長もその席にあった。その他に豊臣氏の譜代である木村重成、織田有楽が出席し、豊臣秀頼の名の下に大野治長が開いたものであった。
「さて、大坂城にお集まり頂き大儀であった。」
秀頼が言うと
「ははっ」
一斉に頭が下がった。秀頼は続けた。
「さて、諸君に集まってもらったには他でもない。東軍、特に徳川譜代の処分である。」
「恐れながら・・・」
毛利輝元が発言を求めた。大野治長がこれに反応した。
「毛利殿、何かね?」
「徳川譜代を取り潰すと莫大な浪人が出ます。彼らが豊臣に牙を向かないとも申しかねます。」
「つまり輝元殿は彼らを取り潰すべきでないと申すのだな?」
「はい。秀頼様。」
「某も同じ意見にございます。」
「私もであります。」
石田三成、小西行長も同調した。これに対し織田有楽が言った。
「では、どのような処分が妥当であるかな?」
「不肖、私如きが僭越ながら、減封、転封が妥当と存じます。」
宇喜田秀家の進言により本多、松平、井伊、藤堂10万石、榊原、保科は5万石に減封され、いずれも東北に転封となった。またこれに代わって上杉が尾張近辺に、伊達が常陸に上野と下野は佐竹義宣が治めることとなった。
「随分と国替えが多くなりそうじゃな…」輝元は少し不安そうに呟いた。どの大名も自らの土地を離れる事に不安を抱くと考えたのだ。
しかし三成は、
「毛利中納言様、しかしながら秀頼君の居られる大坂城の周囲には盾と成られる大名が少のうございます。是非とも《義》を重んじる上杉中納言様にその役を担って頂きたいのです」と反論した。
すると宇喜多秀家は、「その様なことならば、太閤殿下の養子である自分も岡山から動いて、秀頼君の盾と成ろうではないか」
と三成に同調した。

その結果、上杉景勝が尾張・美濃の2国を、直江兼続はそれと別に北伊勢5郡を領する。
近江水口の長束正家は伊賀1国を加増された。
宇喜多秀家は播磨・但馬・丹波の3国に入って大坂の西を固めた。
南側の紀伊には小西行長が肥後宇土から転封。
北は大谷吉継が越前敦賀から隣国の若狭・丹後の2国に移動。
そして能登の前田利政が越前・加賀の2国に移動して大坂の北を守る。
そして、小大名が乱立した摂津・和泉・河内は全て一括で豊臣家の蔵入地(直轄地)として大坂を固めた。

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