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逆転!関が原
その他リレー小説 - 歴史

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逆転!関が原 33

但し三成の性格を反映してか、本場の亀船の様な鮮やかな模様は無く、厚い白木の天井を付けている。
「その《突撃船》を今回は江戸に曳航して来ました。これに南蛮船から《カルバリン砲》を積み替えて船に載せて利根川を溯上し徳川勢に砲撃致すのです」
信繁の策に諸将が納得したが、新たな質問がぶつけられた。
「そんな船が来れる程深い川を如何して渡河致すのですかな?川舟は殆ど徳川に押さえられておりまするぞ」
そう質問したのは現在肥後宇土の領主である島津中務少輔豊久である。彼は関ヶ原同様に島津勢の副将を務めていた。
豊久は長年の大坂生活で培った、薩摩訛りが無い口調で思う処を述べる。
「確かに亀船の様な船ならば川を溯れましょう。しかし川船も船橋も無しで如何にして渡河出来ましょうや?兵をそのまま渡河させては、亀船が進める川の中程で溺れてしまいまするぞ」
これに対しては正宗が答えた。
「案ずる事はございません。既に上流に奉行が行っておりまする。一夜城のごときあっという間に橋が出来上がることでありましょう。」
秀吉の残した多くの黄金を使い多くの人を集め、上流から橋の資材を流させるという作戦を既に立案。準備も完了してあった。
「と申すと?」
橋を作るべき資材は擦れに上流で完成している。それをここで一挙に組み立てる。組み立てるために繋ぐ部分は鋳型にしておき、通し番号をつけておくのだ。
「これは感服した。」
豊久は驚いたように言った。これに続き
「ふむ…なるほど…」
と秀頼は作戦を理解したように言った。
「ほかに意見、意義等がある将は居らぬか?」
大野治房は再び列席の将達に問うた。共同作戦では意思の疎通がしっかりしている事が大切と考えていたためである。さらに治房は
「末席の諸将も遠慮は要らぬ。ここは軍議の席である。」
立花宗茂の質問を引き出したものと同じ台詞を再度言った。


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