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逆転!関が原
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逆転!関が原 1

関が原合戦を西軍勝利に導きます。これに同調される方はどんどん書き足してください。

「太閤様!」
1598年8月16日「かえすがえす秀頼のことを頼み申す。五人の衆へ、しかと頼みます。」と残し秀吉は亡くなった。
家康はあれよあれよと言う間に秀吉に書いた誓約書を破棄、あっという間に勢力を拡大していった。
さらに翌年前田利家は死去し石田三成が襲撃される。三成は佐和山城に蟄居されてしまった。
1600年6月上杉に謀反の疑いありと上杉征伐を決定。この隙に乗じて石田三成が挙兵。関が原合戦がここに始まったのである。
三成は親友の大谷吉継に会った。吉継は上杉征伐に加わっていたが親友の使者からの言葉を断れず三成の元にやってきたのだ。ここで反家康の戦いをすることを告げる。
「佐吉(三成のこと)、家康の横行は許せぬが、世を混乱に導くべきではなかろう。」
吉継は3日を費やし三成を諌めた。しかし
「そなたと敵に味方に分かれようとも私は戦う。」
と言う一言に折れ、西軍に加わることを決めた。そしてこう言った。
「親友だから言うがお前の元にどれだけの武将が集まるかのう?毛利輝元殿を総大将に、宇喜田秀家殿を副将にすべきであろう。」
毛利輝元、宇喜田秀家を担ぎ出しさらに弾劾状を各地に配り西軍は次第に形が出来ていった。しかしここで三成は大きな賭けに出る。
「吉川広家は当てにならん。あやつを佐和山に呼び出せ!」
毛利一族の一人を佐和山に呼び出し監視下に置いた。

一方家康はこれを予期しており早くも軍議を開いた。この頃多くの秀吉恩顧の大名は三成を良く思っていなかった。このため家康側に多くの大名が残った。そしてついに戦端が開かれたのである。
戦いは先ず京都で始まった。西軍が伏見城を攻撃したのだ。しかしこのとき伏見城救援に行った島津義弘が城内から発砲を受けた。これに激怒した島津隊は西軍に加担。さらに小早川秀秋も輝元が西軍についたことから渋々西軍に加担した。これに石田、宇喜田、などが加わり総攻撃。鳥居元忠も戦死した。
石田三成は信用ならない小早川秀秋にここの留守番を命じた。そして西軍主力は美濃方面に向かった。
さて、東軍は岐阜城を攻め落とす。三成は大垣城にいた。
この頃西軍の総大将毛利輝元は大坂城にいた。そこに三成からの使者が来た。
「ぜひ輝元殿もこちらに来ていただきたい。」
「しかし若君(秀頼)をお守りせねばならぬ。」
「狸親父(家康)はここに攻めては来れますまい。何せ豊臣恩顧の大名が東軍にも居りますゆえ。」
「されど・・・・・・」
「この城には豊臣譜代の者も多く居ります。一刻も早く三成の元へ!」
この進言に折れ輝元は大坂城から佐和山に向かった。
一方で大垣城にはこのとき石田、大谷、宇喜田、島津の他に小西行長、脇坂安治らが集まっていた。

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