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逆転!関が原
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逆転!関が原 26

「はい、南蛮船の大筒と弾薬の調達及びその運用についてですが、先ずは大筒調達は石田木工頭(正澄)殿、弾薬生産は真田伊豆守(信之)殿を任命しては如何かな?石田家と真田家がその任に就くなら継続的に作業も進みましょう。その上であの2人に関東に出張って貰えば良いのです。それと南蛮船の運用には九鬼長門守(守隆)等の水軍大将にも参加させては?九鬼水軍ならば鉄甲船を操った事も有りまするからな」
「成程、そうすれば三成と信繁に直ぐに関東に来て貰えるな!」
秀頼は正宗の言葉に大きく頷いた。
「すぐさま石田と真田に使者を送るのだ。」
豊臣直属の使者が石田、真田両武将の元へ向かった。
「毛利殿ご到着。」
使者を出したのとほぼ同じくして毛利元康本隊が秀頼の陣に着いた。
「おお、元康殿、良くぞいらした。」
「秀頼様、戦はいつ頃に?」
「真田、石田が着てから皆で軍議を開くつもりである。」
「左様ですか。」
「しかし元康殿、今日はお疲れでありましょう。ゆっくりとお休みになり、明日からのことに備えていただきたい。」
「かしこまって候。」
その後、豊臣水軍や各大名の水軍によって、続々と西国から軍勢が江戸に到着し、秀頼が本陣を置く利根川南岸の忍城そばの古墳群に集結を果たしていった。
先ずは毛利一門の軍勢は先乗りした美作の毛利元康の他、備前の毛利秀元、出雲の吉川広家、筑前の小早川元鎮(秀包の死後家督を継いだ嫡男)が参陣、そして大坂に輝元を残した代わりに毛利家の総大将に世子秀就が着陣した。2百万石を誇る毛利一門が武蔵に送り込んだ軍勢は4万に及ぶ。
島津勢は当主家久と支藩の都城の伊集院忠真、そして独立した南肥後の島津豊久が共に参陣、合わせて2万の軍勢を送り込んだ。
長曾我部勢は当主盛親自らが土佐とその周辺の自領から1万、四国旗頭として、蜂須賀・小川・生駒等の寄騎を合わせて1万で、合計2万の軍勢を寄越して来た。また、長曾我部水軍は五中老の北伊予の加藤嘉明・淡路の脇坂安治の各水軍と協同で大坂〜江戸間の兵糧や軍勢の海上輸送を行なっている。
また、筑後の立花宗茂、肥前の鍋島勝茂、豊前の毛利勝永、豊後の福原直高、そして五中老でもある北肥後の加藤清正も続々と武蔵に軍勢を集結させた。
中四国・九州の西国勢は総勢11万に及ぶ。
更には真田信繁が甲斐から《朱備え》の軍勢1万、石田三成が佐和山から1万の軍勢をそれぞれ先に送り込み、2人も自ら大坂城から伊達水軍の南蛮船で武蔵に着陣した。
これにより秀頼が率いる豊臣勢は総勢18万の大軍勢となったのだ。

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