PiPi's World 投稿小説

逆転!関が原
その他リレー小説 - 歴史

の最初へ
 13
 15
の最後へ

逆転!関が原 15

しかしながら秀頼の初陣において失敗は許されない。それ故に五奉行達が中心となって軍役・物資の手配が開始され、各大名達も一度国元に戻って兵力を整え始めた。
だが、徳川忠輝や土井利勝は豊臣勢の《油断》を逆手に取って浪人を中心とした軍勢で隣接する領地に侵攻を開始した。
「本格的な冬が来ればこの陸奥・出羽において、まともな戦など不可能だ!よって機先を制して白河関より北を全て秋までに取ってしまうのだ!」

彼等はいわば《冬将軍を計算に入れた縦深戦術》を意図していたのだ。
慶長3年の太閤検地によると、陸奥の石高が約168万石、出羽が約31万石である。その後の開発分を含めて2国で250万石弱有るのだ。
つまりはこの2国を全て平定してこそ始めて豊臣勢とのまともな戦いが可能になるのだ。

一方いくら秀頼に戦の経験がないからといって馬鹿ではない。淀殿は教育熱心だったのだ。また豊臣譜代の将たちも徳川が冬将軍を利用してくることは十分に頭に入れていた。しかし、これを逆に利用することを考えたのが知将石田三成である。
「徳川は浪人集を使って出羽や陸奥、ひいては三陸に進出するであろう。それを豊臣への謀反として徳川と一戦交えるのはどうか?」
大坂城で主だった武将が会議を開いた。
「しかし、冬の三陸では思うような戦いができますまい。」
異論を唱えたのは上杉景勝である。これに対し宇喜田秀家が言った。
「かといって時が経てば徳川が勢力を拡大してしまう。」
「徳川が勢力を拡大したといってもそれほどではなかろう。」
楽観的な意見を出したのは前田利政である。
「果たしてそうだろうか?」
大谷吉次の子、吉久が言った。秀頼はこれに対し質問を投げかけた。
「吉久殿はどうお考えか?」
「はい。私の考えでは戦となった際ここを死場と考えた浪人集がわれらを圧倒することも考えられます。さればあまり楽観的な見方をすることは好ましくないかと存じます。」
「ふむ、確かに楽観は出来んな。しかしこの様に多くの浪人をどうやって集めたのだ?」
加藤嘉明が疑問を口にした。すると真田信繁が口を開いた。
「皆様方、実はその件に関してある者から話を聞いて参りました。」
「真田殿、その者とは一体…?」
「加藤殿、それは私の義姉、つまりは兄・信之の妻である小松殿なのです」
信繁の話では小松殿を頼りに弟の忠朝(忠勝の二男)が徳川から亡命してきたのだ。

SNSでこの小説を紹介

歴史の他のリレー小説

こちらから小説を探す