心恋 9
電車が走り始めて、次の駅がアナウンスされた。この時間は混雑している。
「…ね。さっき、なんか言ってたよね?よく聞こえなかったんだけど。」
私はなんだか挙動不審者みたいにぎこちない。でも、気になって聞いてみる。
「いや、何も。」
彼は私には届かない吊り革に掴まったまま答える。
私はそう、と呟いた。
(いや、なんか言ったよ) 心の中で思ったが、それ以上は口にしなかった。
夜は鏡にもなる大きな窓越しに矢野くんを覗き込む。だけど、彼は背が高いので、表情までは盗み見ることはできなかった。
そんなことをしているうちに、次の駅に着いた。乗り換えのある駅のため、人が割と乗車してくる。その勢いに押され、小さな私は中へと押し込まれた。
「わっ!」
気づくと矢野くんの腕にくっつく形になっていた。
「…ごめん。」
「いや、平気です。それより、ここ掴まってて。」
ここ、と矢野くんは私の傍にある自分の右手を左手で指差す。私がそっと腕に掴まるのを確認すると、左手を吊り革に戻した。
「背が高いって得だね。」 私は見上げて言う。桧山さんもある程度背が高い。
でも矢野くんはそれ以上に大きい。
(何を比べてるんだか…)「そうですね。」
矢野くんも軽く相槌を打つ。だが、賛同という感じではないように見えた。
あんまり近くて気恥ずかしい。今度は下を向くと、なんだか頭がぐるぐると回ってきた。
「きもち…わる…」
まだ、酔いが残っていたようだ。掴まった腕には徐々に力が入る。
「来谷さん?」
私の異変に気づいた矢野くんは、びっくりしている。たぶん血の気が引いて、顔が青白いんだと思う。
「具合悪いんですか?次で降りましょう。ね?」
矢野くんが優しく言ったので、私はうん、と言ったつもりだが、たぶん声になっていなかったと思う。
「すいません!降ります」
矢野くんが私の肩を抱いて、車両中に響く声で行く手を広げていく。私はフラフラしながら、電車をやっとのことで降りた。
「歩けますか?あ、あそこのベンチで休みましょう」
私の手と首回りは汗でビッショリだ。矢野くんに促されて、ベンチまでヨロヨロと向かっていく。
「そこ、座ってて下さいね。ちょっと行ってきます」
矢野くんは駆け足でどこかに向かっていった。私はベンチに腰掛けると、ハンカチを取り出して汗を拭う。座って少ししたら、だいぶ良くなってきた。
「私ってバカだなぁ……」
ふと反対側のホームを見やる。桧山さんはもう家に着いただろう。当たり前だけど、奥さんのところに。
私は今、具合が悪い。
そういう時は思考も悪い方へと向きがちだ。昼間は気にしないって思ったのに。