心恋 5
(…気になる。けど…)
スーツのポケットに入れている携帯が鳴る。
[自宅]―
美幸、つまりオレの奥さんだ。オレは狭い通路を掻き分け、部屋の外に出る。
「もしもし?」
『もしもし?今日は遅くなりそう?』
「そうだな〜、遅くなりそうだな…」
部屋の中ではまだ彼女が歌っている。今度は振り付けつきのようだ。この調子だと、席には当分戻りそうもない。
『…聞いてる〜?』
「え、あ、何が?」
『もうっ!』
美幸の怒っている姿が目に浮かぶ。しかし今、オレの頭の中では美幸以外の女性が往来し始めている。
「なるべく早く帰るようにするから、じゃ。」
なんだか面倒臭くなり、早々と電話を切り上げた。
どうしてなんだろう。
今となっては一人娘だけが夫婦を繋いでいるに過ぎない。美幸に対する愛情はほとんど無いに等しい。少なくともオレだけがそう思っているに違いない。
『桧山さ〜ん!何か歌ってくださいよぉ!!』
部屋に戻ると途端に彼女が叫ぶ。だいぶ酔ってるのか、いつもより甘え口調。
ふだんはこんなところは絶対見せない。
「喉乾いた〜!」
気づくと彼女はすでに隣席に戻っていた。そこら辺にあるサワーか何かを掴んで一気に飲み干している。
「………」
黙った。
(やばいな…)
彼女が黙り込むと相当やばい。昨年、寿退社した彼女の同僚、安藤さんからもよくよく聞かされている。
「オレ、ユカコちゃん連れて帰るよ。これ以上飲ますと大変なんだ。どうせ帰れコールもあったし…」
反対側の隣席にいる営業の矢野に声をかける。
「来谷さん、だいぶ飲みすぎてたから。あ、大丈夫ですか?」
(知ってたなら、抑えるよう言ってくれよ…)
心の中で、まだ2年目の矢野にツッコミを入れる。
そんなことは口に出さずなんとかね、と答える。
未だ沈黙中の彼女の肩を揺らすが返答はない。
「ユカコちゃん、帰ろう」
「……ん…」
動き出したものの、瞳はトロンとまどろんでいる。
茶色がかったその瞳に一瞬吸い込まれそうになった。
「ほら、肩に掴まって。」
急に昼間の出来事が頭の中に浮かんできて、理性を失いつつあったオレは邪念を追い払いつつ、彼女を部屋から連れ出した。
私は気づくと真夜中のネオンの街中を歩いていた。
目の前には見慣れた背中がある。アルコールで感覚が鈍っているせいか、繋がれている手に気づくのに時間を要した。
「…桧山さん?」
夜風にあたっていくうちに、少しだけ手が熱くなってくる。
「どう?少しは酔い覚めたか?」
繋がれた手はそのままに彼が振り返り、心配そうに覗き込む。
私は質問には答えず、咄嗟に右手の腕時計を見やった。長針と短針がもうすぐ重なろうというところだ。