心恋 23
大きなその背中も、やっぱり私と同じように忙しそうに動いている。
それなのに、わざわざ私のために。
ただその気遣いが嬉しくて、ふっと気持ちが軽くなった。
私は桧山さんにとってその他大勢じゃない。そう言ってくれているような気がした。
――でも、だけど、彼の横に立っているのは私じゃない。
……あ。
何を考えているんだと自分を叱責する。
今でも十分すぎる環境なのに。心の中のわがままな部分は、さらに先がいいと訴える。
ちらっと見えた左手のリングは、とてつもなく大きな壁に見えた。
「あれ?桧山さん、さっきもコーヒー淹れてませんでしたっけ?」
給湯室から、コーヒーを飲んでいる彼女が見える。誰が持っていったのかを知ってて、わざとらしく問いかけてみた。
「お、矢野か。喉乾いちゃったんだよ」
そう言い残して、桧山さんはその場を去っていった。
(バレバレな嘘を…)
心の中で軽くツッコミを入れつつ、自分のカップにコーヒーを注いでいく。
「あちっ!」
カップの中身は思いのほか熱くて、油断してたせいか、舌を火傷してしまったようだ。
「最近、油断ばっかだなあ、オレ…」
さっきの事もそうだ。油断というか、気が回らなかったというか。
桧山さんの細やかな気遣いに比べると、自分はいかに余裕がないのだろう。
それでも、この気持ちだけなら負けてはいないはずだ。
いくら比べたって自分は絶対に桧山さんにはなれないし、桧山さんだって矢野という男にはなれない。
だったらいつか彼女に誇れるように、精一杯自分らしく行こうじゃないか。
まずはなるべく余裕を持つように。そう誓ってコーヒーを口に流し込み、
「あちっ!」
冷めてない。またやってしまった。
桧山さんの小さな気遣いのあとも、しばらく書類との格闘は続いた。
とりあえずキリのいいところで一段落つけて、小休憩。
机の上の、整理した資料とまだ残っている分を見比べる。
嬉しくないことに、当初の予想どおり今日一日を使ってようやく終わるかといった量だった。
「……はあ」
思わず小さなため息が漏れる。悪いことは重なるものなんだな、と。
馬の合わない後輩が戻ってきて、仕事は朝から忙しくて、
……桧山さん。
桧山さんへのこの気持ちと、自分たちの間にある高い壁。
自分の想いがそういうものなんだというのは知っていても、いざ目の前に突き付けられたりすると、やっぱり辛い。
どうしようもないということがはっきり解るだけ、余計に。
それでも、まだ心のどこかに甘く温い期待を持っている私もいる。
でも。
もしかしたら。
本当は。
そんな居心地のいい言葉が、絶対に顔を出す。そしてまたありえないと知って落ち込んでしまう。
……私はどうしたらいいんだろう?
誰もその答えを教えてはくれない。私自身にも解らない。
だからため息。