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心恋
恋愛リレー小説 - 大人

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心恋 3

「大きな伸びだな…」
「ひゃっ!」
私はすぐに頭を、腕を元に戻す。
「昼だぞ、ゴハン行くか」
桧山さんにまったり口調でそう言われて、もう12時を過ぎていたことに気づく。
「…は、はい!」
(ひさしぶりのランチ!)
財布を慌てて探し当て、すでに歩き始めている彼の背中を見失わないように、必死で追いかけていった。

 「何にしようかな…」
これは私の台詞ではない。
桧山さんがずっとメニューと睨めっこをしている。
私はとうに決まり、頬杖をついてその様を静かに見守っていた。
(あまり…選択肢ないんだけどな…でも、お茶目。)
 ここは会社でも有名な蕎麦屋さん。しかも指定したのは桧山さん本人だ。

 他の男の人にこんな態度をくらったら、私は間違いなくイライラしているに違いない。でも今、私はこの上ないくらい幸せだ。

「決まりました?」
メニューから顔が上がったので、問いかけてみた。
「ユカコちゃんと同じのでいいや。」
パタンとメニューを閉じながら答える。そして、私ががっくりと肩を落とすと同時に彼は言った。
「時間もったいないもんな、せっかく久しぶりに昼食いにきたのにさ。」
こういった態度の緩急の付け方が私をくすぐる。

「…あの…」
「いらっしゃいませ!決まりましたか?」
私の小さな声は威勢の良い蕎麦屋の店主、吉川さんによって掻き消された。
「これ、ふたつで。あと卵焼きひとつ。」
桧山さんが注文をする。
私はなんだかバツが悪い気がして、ふたりのやりとりをしばらく見ていた。

「……」
 この状況を考える。
妻子ある人と呑気に蕎麦を食べる、このシチュエーションを。

 私がこんなに強い想いを抱いていなければ、何の問題もないだろう。少なくとも桧山さんは普通にご飯を食べに来ていると思う。

「お待たせしました!」
 目の前に置かれた蕎麦にふと目をやる。私の想いとは裏腹にお腹は空くものだ。昔は恋患いで何も喉を通らない時もあったっけ…

「ユカコちゃん?」
 桧山さんは私の挙動に気付いたのか否か、ずっと黙っててくれたみたいだ。
「食べよう。ほら、箸。」
「あ、すいません!」
箸を受け取りながら、私は桧山さんの長い指を見ていた。リングのある左手。
彼は左利きだ。だから、どうしても彼から差し出されるものは、見たくないものでも見ざるを得ない。

「ユカコちゃんは、今年で何年目?8年目?」
 蕎麦をひとくち啜って、桧山さんが話しかけてきた。低く、心地の好い声。
 携帯電話で初めて話をした日は、その声に聞き入って何度も『聞いてる?』と言わせてしまった程だ。

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