元隷属の大魔導師 299
なら――、とデルマーノは犬歯を剥き出した。
「ひゅっ」
鋭く肺から息を吐き出すと共にデルマーノは左側に半身になってオスローの奇襲をかわした。
首筋の拳一つも離れていない空間を鋼の刃が抜けていく。
一撃必殺の心元だったのだろう、吶喊の余力から踏みとどまることができなかったオスローと急接近した。
火に焼け、筋張った武人面へデルマーノは笑みを送る。
遭遇以来、最高の焦りを浮かべるその面長の顔をデルマーノは右手でがっしりと掴んだ。
「イヒッ……」
「ぅ、ぬぅ――っ!」
まさかの反撃にオスローがとっさに身を引いた。
それはデルマーノの予想通りの反応だった。
口の端を吊り上げて嗜虐的な嗤いを浮かべたデルマーノは、槍騎士の後退に合わせて自身は前進した。
と、当時に膂力を余すことなくオスローの顔面へと手のひら越しに叩き込む。
ドウッ!
空を裂き、海老反りの姿勢の鋼の騎士が雪面へと後頭部から落ちていった。
新雪に音こそ吸収されてしまい、イマイチ迫力に欠けたが、まず再起は望めないだろう。
本来ならば致命の掌打となっただろうに、とデルマーノは右手を数度、開閉した。
「…………」
ただ、まあ、それはそれ。
右手へ向けていた視線を上げたデルマーノ。
その先では、
「ひょ、氷神の斧よっ!」
クレディアの少女魔導師――ロージーが、その白い顔をさらに一回り白くさせて杖を振ってきた。
濃密な魔力が空間の一点に集約され、その強大なエネルギーが行使者の紡いだ魔術式によって事象を上書き、奇跡を発現させる。
つむじ風にも似た冷風であった。
いや、小型の竜巻と呼んでもいいかもしれない。
これが、自称『黒の塾』主席であったロージーの奥義であることを漠然と悟ったデルマーノ。
威力は言わずもがな、速度もなかなかのもので騎馬兵くらいならば難なく追いついてしまうような代物である。
「――イヒッ」
だが、それでも、デルマーノは嗤った。
そして、己へと迫る氷系の大魔法へと左手を広げて掲げ、梳かすように睨んだ。
「氷狼の遠吠え……」
オオオォォッッ!
すでに何百度も繰り返し意識したことで、それこそ起き抜けだろうとも想起できる魔術式を唱た。
最近になってようやく完成の日の目を見た自身最強の氷系魔法である。
通常ならば辺り一面の雪を凍りつかせてしまうだろう冷気が一枚の刃となって、迫りくる氷嵐へと飛んでいった。
決着は、実に呆気のないものだった。
まるで何事もなかったかのように、『氷神』は『氷狼』に喰われたのだ。
当然だ、『氷狼の遠吠え』は空前絶後の貫通、切断魔法である。
そして、その貫通力は『氷神』を切り裂いただけでは衰えることはなかった。
「っぇ?」
意外だという感情しか含められていない悲鳴が聞こえた。
まさか、渾身の魔法が打ち破られ、なおかつ、反撃をくらうとは予想しえなかった、そんな声だ。
さらに言えば、魔術師の命とも呼べる――デルマーノなどの特殊例を除けば、だが――杖が真ん中から見事に折られてしまっているのだから、まあ、戦場では浮いてしまっている驚声を漏らしたとしてもしかたなかろう。
「ヒヒッ……杖なしの魔導師がどうするよ、ええっ?」
デルマーノは犬歯を剥き出し、笑いかけた。