元隷属の大魔導師 300
するとロージーが、笑い返してきた。
「……負けました、邪慳」
「あん?」
「負けました、と言いました。私の敗北です。完全の完敗です」
「へぇ?降伏でもしてくれんのかい?」
「……クレディアは、非情な国です。私のような身分のない人間の失敗は許されません」
「……そうかよ」
デルマーノは眉を潜めるようにして、まるで、根の腐った巨木を見るような儚い笑みを浮かべた。
しかし、ロージーは笑みを崩さない。いや、いっそ、清々しい笑みである。
「貴方は強いですね、私と違い」
「それなりに、な。少なくともやりたいことをやるだけの強さは持たねぇと」
「やりたい、こと?」
「そうだ。やりたいことだよ」
ヒッヒッ、とデルマーノは喉を鳴らした。
彼にしてみれば『やりたいこと』即ち自分の『やること』なのである。
恋人が子を孕み、可能ならば己が子が『奴隷』なんていうクソったれな世界とは無縁な世界で生きてくれることだけなのである。
たがらこそ、この少女の口にしたことはわかる。
分かってしまった。
ならばこそ、この娘は殺せない。
たまたま、生き残るのではないのだ。『邪慳』と字される凶悪なる魔導師が、まさか敵兵を生かし、殺さないのである。
「…………イッヒッヒッ。がんばれよな、若僧」
「……?」
すると、ロージーが不思議そうに見上げてきた。
最初は何も言わず立ち去ろうと背を向けたデルマーノだったが、背中をムズ痒くさせる視線が延々と注がれることに居心地の悪さを覚え、肩越しに少女を見返した。
「俺が、オマエを見逃す理由がわからねえ――ンな面だな、そいつは?」
「……はい」
こくんと、首肯してきたロージー。
もうすでに、両者の間には敵味方の軋轢などはなく、そして、それさえなくなってしまえば存外素直な性格の娘なのかもしれない。
そして、素直な人間を天邪鬼なデルマーノは好きなのである。
「イヒッ」とデルマーノは笑った。
「ロージ−……なんといったっけ?」
「…………スリングですわ。ロージー・スリング」
少女からはわずかな逡巡を感じられたが、結局、家名を告げてきた。
やっぱり、素直である。
「そうかい。なあ、ロージー・スリング?オマエがこれから目指す道におれは敵として存在してんのか?」
「は、い?。ぃえ……そ、それは」
「ヒヒッ。それが、答えさ。俺ゃ、無益な殺生はせんタチなんだよ、てめえらの国で囁かれてる風聞じゃあどうか知ったこっちゃねえがな」
そして、別れを告げるように手を振るとデルマーノは己が次の戦場へ――王都ウェンディへと眼差しをむけた。
もう、語ることはあるまい。
「…………やりたい、こと」
残されたロージーは両膝を雪原へと付き、灰色の空を見上げた。
祖国の空もまた似たような色だ。
けれど、それももう見納めだろう。自分のやりたいこと、やるべきことはもうわかっている。
それは断じて帰還して、作戦の失敗――あの『邪険』が相手取れる人間など、ここに派遣されているクレディア軍にはいないし、高位の魔術師を兵力差で押し切ろうなどすれば結果如何に関わらず甚大な被害がでることはうけあいだろう――の責を我が身ひとつに被ることなどではなかった。
そも、自分が亡き祖父以外の親類縁者からの反対を押し切り、幾つもの良縁を袖にしてまで魔導師になったのは、あんな貴族主義で世界征服なんて目指している――ロージーにはクレディア軍部の近年の暴挙をそう解釈するしかできなかった――祖国へ奉仕するためなんかではないのである。
「……妖精よ、微笑みなさい」
ロープの内側から魔法触媒を取り出したロージー。
視界の隅で巨木に身体を埋め込み、息絶えようとしていた上官へと自分が使える中では最高格の『回復』魔法を施してやった。
ほのかにオスローの巨躯が発光した。