元隷属の大魔導師 296
しかし、苦悶の声を上げたのはデルマーノも同じである。
エルクの姿が、アルティやロージーの背後に展開していたクレディア軍と一緒に煙のごとく消えていたのだ。
あの人数の移動など、それこそ平和ボケしまくったエリーゼあたりですら把握できないわけがない。
つまり、何かしらの魔力技術による不可視化である。
そう、とっさに判断したデルマーノは魔力探知魔法『真実の目』を発動させたのだが、己の周囲は淡い紺一色に統一されていた。
「ちっ……ぅぉっ!」
瞬間、その原因だと思われるロージーへと視線を射ったのだが、すぐさま、オスローが第二撃を放ってきた。
自身の胸元めがけて唸る鋼の切っ先を、上体を反ってかわし、加えて抱き込むようにその槍の灰色で武骨な柄を握り締めた。
反射的に得物を引き戻そうとするオスローだが、その対応はデルマーノの思考の範疇である。
恐るべき右手の握力を駆使し、槍騎士の引く力を己の体勢を立て直し、さらに急接近することに利用したデルマーノ。
「ぬぅっ?」
「イヒッ!がら空きだなあっ!」
靴底に鉄板を仕込んだデルマーノの踵が、オスローの胸鎧を打ち鳴らした。
白い森に、時刻を報せる巨大な鐘の音にも似た重低音が響き渡った。
「…………ちっ……。屈辱だ……」
淡々としたロージーと、ある程度以上の誇りを抱いていただろう自慢の甲冑に見事な陥没痕を刻まれ、戸惑うオスローの二人の視線に穿たれたデルマーノは、それでも心底不愉快そうに漏らした。
「ああ……本当、屈辱以外の何ものでもねぇ。んなこすい手に引っかかるなんて無様すぎるぜ、オイ」
殿を残し、『不可視』の魔術によって敵陣の突破を図るという、あまりにも想定済みな手にまんまと嵌ってしまった自分に歯噛みするデルマーノ。
中でも最も不愉快なのは、自分が故郷であるウェンディの地を防衛するという戦のため、気負っていたという己が看過していた本心である。
こんなクソ田舎に、まさか、このシュナイツの宮廷魔導師であり、六大魔導の一番弟子である高位魔導師にして賢者でしかるべきデルマーノの心が惑わされるなんて……。
基本的に、ウェンディに関連するモノは敵対すべきモノだと考えているデルマーノ。
それが、もし、己の内なる存在だとしてもそれは変わりないことだ。
「ふんっ」
「…………」
この時、任務を全うし、あとはこの悪名高き敵将を討ち取るだけ――と、満ち足りた面持ちのオスローとロージーであったが、一つだけ誤算があった。
それは、内罰ともいえるデルマーノの憤怒である。
ユラリ、とデルマーノを取り巻く空気が揺らいだ。
それは比喩や誇張などではなく、高位魔導生物『リッチ』だからこそ発することの可能な純魔力の物理力どある。
その異常にいち早く気付いたのは魔導師であるロージーであった。
「ひっ……」
「うん?どうした、ロージー?」
「っ……副長、避けてくださいッ!」
「な、に――っ!」
平常ではありえない部下の悲鳴に、オスローもデルマーノからのプレッシャーに気が付いた。
魔力こそ捉えることはできはしないが、そこは歴戦の勇士だ、とっさに身を屈めた。