元隷属の大魔導師 288
「ヘルシオっ!」
「ええっ!」
その名を読んだだけだったのだが、それでもこちらの意図は伝わったようだ。
場合でないが、フローラは口端を吊った。
そして、彼の背から飛び出し、石造りの床を強く蹴り、加速する。
「五人です!内、一人はエドが!右舷を攻めてください!」
「りょ〜かいっ!」
ヘルシオも負けず劣らずの簡略した台詞だ。
けれど、フローラだって意向を汲むことができるのである。
――なにせ、恋人同士なんだから!
前屈気味の、正面から見て極力、体積が小さく見えるような姿勢で滑走するフローラ。
だが、顔は上げ、敵の影を認めていた。
四人の騎士、そして、一人の魔導師という編成である。この人数で隊を組むなら模範的な編成だ。
けれど、その要の魔導師はすでにエドゥアールの手にかかって、おそらくは死んでいる。どう見積もってもこれより先、戦闘に参加するのは不可能だろう量の出血をしていた。
きっと、奇襲してきたのはこの魔導師だったのだろう。
ヘルシオは魔導師だが、この暗い廊下で遠くに見たとしたらフローラと同じ騎士にしか見えなかったはずだ。そして、他の面子は皆、騎士か剣士である。
だからこその魔法攻撃だったのだろうが、失策だった。
フローラはつい昨日知ったばかりだったが、ヘルシオは相当の実力を有した魔導師だ。そんじょそこらの魔導師が奇襲で放つ程度の魔法では効果をなすはずもない。
結果、ヘルシオの防御魔法とエドの反撃によって隊列は脆く崩れた。
敵は四人の騎士だけ。
「っん!」
フローラはその女性特有のしなやかな身体を利用し、三度の剣戟の末、敵騎士の腹部へと刃を走らせた。
肉を断つ柔らかな感触を手に、勝利を確信する。
振り返れば交戦していたもうひとりの騎士はヘルシオの魔法で全身を炎に包まれているし、エドはさらにひとり、騎士を討ち取っていた。
「ハァ……ハァ……」
そして、さらに視界を巡らせれば、目に止まったのは肩を上下させる三人の後輩たちだ。
その足元では最後の敵騎士が幾つもの斬撃を身に絶命している。
亡国の王子であり、将軍であったヘルシオ。
奴隷闘士だったエドゥアール。
自分だって、近衛騎士になってからこっち、それなりの修羅場を見てきたし、実際に体験もしていた。
けれど――
「平気かね、新人諸君?」
「ぇ、ぁ……は、っはい!」
複数人で取り囲み、滅多刺し。
騎士にあるまじき不恰好であるし、彼ら自身だって臨むところではないはずだ。
それでも、フローラは莞爾と微笑んだ。
「よしっ」
だって、生きてて何ぼ、なんだから。
誇りだの、騎士道だのとのたまうのはそれからなのだ。
彼ら――それは、デルマーノやエドや、シャーロット、そして、ヘルシオ。
彼らと出逢って、自分はそれを学んだ。
そして、後輩へとソレナリの顔をすることもできる。
(歳とったってわけね、わたしもさ)
フローラは顔に出さないように自重すると廊下の先を見やる。
「待ち伏せ?」
「かもしれませんけど、違う可能性が高いでしょうね」
フローラは振り返るとヘルシオへと首をかしげてみせた。
ヘルシオは足元を、息絶えた敵騎士らを指し示して続けてくる。
「もし、私たちへの対処を目的としているのであれば、いきなり魔法なんて使いはしませんよ。だって、私、近衛魔導師隊の副長なんですよ、これでもね」
「ああ……」
フローラは得心した。
繰り返しになるが、ヘルシオは高い実力の魔導師だ。それは、その現在の肩書きにだって劣るものではない。
ならば、自分たちシュナイツ近衛と敵対するならば用心しなければならない人物の一人であるはずだ、議論の余地もなく。
「じゃあ、普通の警邏?だと、ちょっと物々しすぎるんじゃ……まさか、斥候?」
「または、警護かもしれませんね。この先にいる、これほどの騎士を擁する誰かの」
「なる……。だと、私たちの目標ってのも的外れってわけでもないんだ。さっすが、ヘルシオっ!」
「いやあ〜」
「――おい」
「っ!」
ヘルシオが珍しく屈託のない笑顔を浮かべて照れいっているのを眺めていたフローラ。
その時だ、まあ、無粋な声がかけられた。
不機嫌そうだ。いや、あまり、感情の籠められた声色ではないのだが、雰囲気にってやつである。
声主はエドゥアールであった。