元隷属の大魔導師 287
片眉を跳ね上げたエド。
けれども、そんな酷薄顔の男が反論を展開するよりも早くヘルシオは唇を歪めて続けた。
「私も、なにしろ、この城に来たのは初めてなのでね。しかし、まず、間違いはないと思いますが」
「……根拠を聞こうか?」
「ふっ……貴族も王族も、中でもこのような国の上官というものは少し距離があり、そして、日の当たらない方角に逃げていれば相手の裏をかけて、追撃を免れると本気で思っているような人種なのですから」
「えっと……どゆこと?」
ヘルシオの肩をつつき、フローラが不思議そうな顔で聞き返した。
炎の青年魔導師は肩をすくめる。
「彼らの基準では遠くに行くことも、日陰を目指す行動も人間が取れるモノだとは思ってないのですよ」
「ふん……こんな城からは遠く離れた町外れの暗い貧民街で育った己の前でその言葉、か」
「嫌味に聞こえましたか?」
「いや。褒められたのだと思ったよ」
エドが、その冷たい顔をわずかにゆがめた。
笑ったのだ。
ヘルシオもまた、頬の緊張を緩めて微笑を返した。
「…………」
けれども、そんなふたりに冷たい眼差しを浴びせる女性がひとり――フローラである。
「な、なんでしょう?」
その視線に逸早く気づいたヘルシオは、頬を強張らせた。
フローラは頬を膨らませて言った。
「いいのよ、べつに?ヘルシオがね、まあ、デルマーノ君の義兄弟君と仲良くなるのはいいことだし?でもさ、わたしにも解るように説明して欲しいなァ……なんて、思ったりしてるのだわよ、この腕っ節だけのお馬鹿な女騎士はさ」
「そんな、卑屈になんなくても――すみません」
ヘルシオは頬を指で掻く。
フローラやエド、そしてその背後で息を潜めている四人のシュナイツ近衛局騎士達へ視線を一巡、元皇子の魔導師は続けた。
「ま、要約すれば、城の正門から見て裏手に当たり、城の構造上、どうしても風の通りが悪い所というのは往々にしてできてしまうものでして……」
「それが……この先?」
「ええ。フローラも昨晩通ったでしょう?」
「えっ?と……あっ、デルマーノ君たちを置いて帰ってきた時のか。うんうん、おっけ。思い出してきたよ」
「……フローラ、マリエルさんが出した火酒を一息に呑んでましたが、記憶は――」
「わあわあっ!ちょっと、ヘルシオっ?一応、後輩の前なんだけどっ!」
フローラは背後――後に続く彼女よりもいささか若い騎士達を一瞥、恋人へと不満げな顔を向けた。
ヘルシオは頬を掻く。
「これは失敬。でも、まあ、おあつらえむけにそんな場所があるんですよ。もちろん、フローラもご存知なのでしょうがね?」
「……ヘルシオ、嫌みっぽい」
「また、失敬」
ヘルシオは唇の端を上げると笑った。
が、その顔もすぐにスッと引き締めた。
それは鋭く、兄弟子のにも似た真剣な相貌だ。
しかし、わずかに好戦的な光が瞳には宿っている。
「――ふっ。相手も間抜け揃いでもない、と」
「えっ?」
胡乱な相槌を打ったフローラの前でヘルシオが杖を抜き、隣ではエドゥアールが双剣を構えていた。
「へ、ヘルシ……」
「煌めきなさい!」
「っ!」
ヘルシオはフローラを背に庇うと同時に、魔術を行使した。
視界一杯にヘルシオの羽織る紺紫のマントがはためいており、そのため、何が起きているのか目視はできない。
けれども、恋人の身体越しからですらも感じる熱気と、その収束と同時に前方へ駆け出したエドの対応に接敵したことは優に察せられた。
――詳細なんて、全くもってわからない。
けれども、この場面で自分が取るべき行動はひとつしかない!