元隷属の大魔導師 283
両手には確かな手応え……。
どさり、と幕が音を起てて廊下へと落ち、続いて、さらに重たく虚しい落下音が空々と響き渡った。
「ゅっ……」
長剣の刀身に僅かに付着した血糊を振り払い、さらに風の魔法でその箇所を洗うと鞘へしまう。
そんな茶飯事を行い終えたアリアはちらりと、一度だけ自分が手をかけた躯へと目をやった。
女だった。
自分と同じくらいの年頃の、うつ伏せているために顔は定かではなかったが小麦色の短髪が印象的な娘である。
「…………」
アリアは駆け出した。
一瞬だけ、心の中だけで弔いの言葉を紡ぎながら。
「――…………」
アリアは周囲を警戒し、少なくとも常体の敵対勢力がいないことを確認すると扉をそっと開けた。
柊の厚い扉である。
蝶番が音もなく己の役割を果たし、そして、扉は全開した。
階上へと続く狭い螺旋階段だ。
城の構造上、警備、防衛の観点からあえて一度に移動できる人数を制限しているのだと、アリアの知識が教えてきた。
もし、現在のような状況でこの先にいる人物像――
「すぅ……」
アリアは大きく息を吸うと一歩、先に踏み出した。
普通に考えれば、いまや敵国となったウェンディ王家、または高位貴族に縁のある人物だろう。
しかし、
「……はぁ」
自分が捜しているのはちょっと高飛車な少女姫エリーゼと、『あの』エーデル・ワイス隊長なのだ。
その暴走は、例え隊一番の常識人、近衛局の良心とも呼べるギルデスタン・レギューム副隊長が一緒にいると想定できても、防げるものではないはずだった。
要は、エリーゼのことだ。
逃げるどころか、こちらから討って出るなんてことを平気で言いそうなのである。
そして、ソレを可能にする戦力が彼女の元にはあるのだ。
……だから、アリアはこれ以上ないってほどの嫌な予感を覚えながらも、一歩一歩と階段を上っていった。
「――っ!」
遺体だ。
ウェンディの衛兵の亡骸であった。
螺旋階段の中心軸部分の柱へ寄りかかるように絶命している男をアリアは観察してみる。
一撃で軽鎧を、そして鎖骨と肋骨を切り裂かれていた。
出血の具合からみて、戦闘が行われてからまだそう時間は経っていないだろう。
――アリアは、自身の嫌な予感が確信に変わったのを自覚した。
「ぁっ……と、隊長っ!」
階段を登りきり、そこにも扉があった。
アリアがその向こう側から殺気と呼ぶにはあまりにも微弱な、けれども確かに『凄腕の』気配を察し、扉を開けると同時にその人物だろう者の名を叫んだ。
「……アリア……アルマニエ?」
「……っ……っ」
アリアは無言で、しかし、全力で首肯した。
……なぜなら、首筋には凜と煌めく銀色の刃が押し当てられているのだから。
どうやら、己の判断は正しかったようだ。
もし、上司の名を呼ばす、ましてや、警戒しながら扉を開けたりなどしたら……ゾッとする。
「貴殿がそうしているということは、どうやらそちらも無事のようだな」
式典用の銀鎧の正装をしたエーデルが、腰の鞘へと剣を納めつつ、下顎に力を込めて言った。
それはこちらの台詞だった。