元隷属の大魔導師 217
口ではそう言うがデルマーノ本人だって、自分の推論が間違っているとは微塵も思っていないはずだ。
エーデルはそんな同僚へ頼もしさとともに、若干の畏怖の情も覚えたことだろう。
「それで?出立はいつですか?ああ、あと相手国も……」
デルマーノはニコニコと微笑みながら、手持ち無沙汰なのか、手に持ったティーカップの内に僅かに残った瑪瑙色の液体をカップの淵に走らせる。
エーデルがなんとはなしに答えた。
「出立は五日後、正午を予定しています。それと相手国は――『ウェンディ』です」
――カシャンッ…………
「ッ?」
エーデルは突如、足元で響いた陶器の破砕音に驚き、見た。
予想通り、床に陶器が散乱している。
続いて、その持ち主へと視線を送った。
「……デ、デルマーノ……隊長?」
目を見張るエーデル。
デルマーノは床にティーカップを自ら落としたことに気がつかないかのように、固まっていた。
その切れ長の瞳は瞳孔が開き、細面の端正な顔をフルフルと小刻みに震わせている。
――こんな、内の感情を露わにするデルマーノを見るのはエーデルは初めてだ。
見るとアリアも恋人の動揺に驚きを隠せないでいる。
「………………」
「あ、の……」
「――すみません、アリアさん。野暮用を思い出してしまいました。今日のお誘いはまた、今度ということで……」
「ちょっ、デルマー……ノ…………」
アリアに小さく頭を下げ、割れた陶器を回収に来た食堂勤めの少女にも謝罪するとデルマーノは出入り口へと歩を向けた。
まるで、アリアの呼びかけなど耳に入らないかのように、ふらふらとした足取りである。
案の定、扉に肩をぶつけ、よろけながらアリアの視界から消えていった。
「……デルマーノ隊長はどうされたのでしょう?」
「どうされた、と言われても……」
そんなこと、アリアだって分からない。
ただ――心当たりはあった。
「多分、行き先がウェンディだから……じゃないか、と……」
アリアは明言こそできなかったが、思い出してみても、きっかけはそれくらいしかない。
エーデルもそのことは理解しているようで、頷くと続けた。
「以前、デルマーノ隊長がウェンディの出身だと耳にしたことはありますが……」
「はい。ウェンディの――奴隷街で……」
伏し目がちに言うアリア。
貴族の自分では奴隷時代の暮らしなど、想像すらできないが、相当、酷いものだったのだろう。
だから、十五年の月日が経ったいまでもデルマーノは当時を語ろうとはせず、ディーネの元隷属の民たちは憎しみを忘れていないのだ。
「…………あっ――デルマーノ隊長、お帰りになられてしまいました、よね?」
その時、エーデルは、はっとなると言った。
アリアはどうしたのだろう、と疑問符を浮かべながらも、頷く。
「はい、きっと……」
「だと、どうしましょうか?もう、近衛魔導隊もデルマーノ隊長だけではないのですが……」
「ああ……」
アリアは得心する。
ヘルシオやシャーロットにも遠征の予定を伝えなければならない。