元隷属の大魔導師 205
「……ミルダ様はお越しにならないので?」
不死魔導師の発したその台詞は訊ねるというよりも試すような印象をミルダだけに与えた。
シュナイツ王国の第二王女は顔面を蒼白にして数秒、硬直するとようやく平静を取り戻した。
ミルダは自身の近衛隊長メルシー・アイントレックに自分も邪竜の背中へと連れていくよう、命じる。
太陽光を吸い、細く輝いた短めの茶髪を揺らし、メルシーは主君を本当の『お姫様だっこ』で抱えると船の縁から邪竜へと飛び移った。
しかし、第二王女付きの近衛隊長はこの奴隷出身の若き魔導師を信用していない。
元隷属の魔導師。
黒い噂の絶えない魔導師。
吸血鬼を従えた魔導師。
それだけでも十二分に警戒する要因になるのだが、さらにデルマーノは第一王女付きの近衛隊とすこぶる仲が良かった。
三人の王女にそれぞれ、仕える近衛隊同士、対抗意識は強いのである。
メルシーはミルダを庇うように己の背後――鞍の最後尾へと座らせた。
「では、行きましょう――」
「デルマーノ様っ!」
一刻を争うのだ、急いでアルゴを加速させようとするデルマーノは突然、己の名を呼ばれ、甲板へと目を向ける。
すると、ジルが大きく右手を振っていた。
デルマーノが首を傾げ、疑問符を投げかけるとエルフの吸血鬼はカボチャ大の木編みのバスケットを投げ渡した。
見事、邪竜の背に座ったデルマーノの手元にバスケットは収まる。
「――デルマーノ様っ、お昼ですっ!まだ、お召し上がりになっていなかったのでっ……その、僭越ながらっ……」
デルマーノはバスケットの蓋を開けるとライ麦のパンに干し肉や野菜が挟まれていた。
おまけに葡萄酒の小瓶まで入っている。
蓋を締め直したデルマーノは甲板に立つジルへ笑いかけた。
「ありがとうごさいます」
「〜〜〜〜っ」
真っ赤にした両頬を手で抑え、イヤンイヤンと悶え喜ぶ隷属種の吸血鬼。
その姿を見たノークは自分の弟子とのただならぬ関係を悟り、弟子の恋人である赤毛の騎士へ視線を送った。
「…………」
唇を噛み、悔しがっていた。
ノークが到来してからのこの短い時間でランチを作ったジルの気の回りようを目にアリアは己の不甲斐なさに腹が立ったのだ。
そんな姿を目にした紫水晶と謳われる大魔導師は弟子が陥りつつある女難を予期し、密かに同情した。
「では、今度こそ……」
デルマーノはそう言うと魔導杖に偽装した戦闘槍を軽く振った。
邪竜アルゴは翼を一度、大きく羽ばたかせるとグンッ、と加速した。
ゴオオォォオォッ!
蒼き大海を漆黒の影が走り抜ける。
あっという間に『海原を翔るイルカ』号は小さくなり、点となり、そして見えなくなった。
「……、……、……」
「あの、デルマーノ隊長……」
モシャモシャとバスケットを開け、ライ麦のサンドイッチを貪るデルマーノへ第一王女付き近衛隊長エーデル・ワイスは遠慮がちに問いかけた。
「あん?」
デルマーノは振り返るとぶっきらぼうに答える。
「っ!……そ、その……言葉遣いが……」