元隷属の大魔導師 144
「っつぁっ!」
アリアは呼気と共に一閃、己の左側に逸れた愛剣をジルのがら空きになった胴へと走らせた。
「むぅっ!」
ジルは咄嗟に半歩退いたがそれで完全にかわせるはずもなく腹部から左脇腹へと鈍痛が響く。
あまりの痛みに身体が痛覚を麻痺させたのだ。
ジルは額から滝のように汗を流し、後方へと退いた。
……、……、……、……ドンッ
「っ?」
混乱の極みに達していたジルは空間把握が疎かになり、大広間の壁へと背中を衝突させてしまった。
そんな自分の不甲斐なさに歯噛みをする。
「……………………」
吸血鬼といえど、左手と腹部のダメージは甚大だった。
失われた血液は体力をも奪い、霞む視線でジルは広間の戦況を分析する。
エルフの槍使いはこの中でも最高の使い手であろう鈍い金色の長髪を持つ女に斬り伏せられ、ドワーフはエクソシストに戦斧ごと塵芥の如く滅せられていた。
二人の人間の吸血鬼は明るい茶髪を短く揃えた女に指揮された二十名以上の騎士に取り囲まれ、間もなく制圧される事だろう。
「…………勝負は、つきましたね」
「ええ、貴女方の敗北で」
エルフの吸血鬼を倒した女騎士、エーデルは剣を突きつけて答えた。
アリアやウルスラも直ぐに駆けつけ、エーデルの脇に立つとジルへと魔導剣と巡礼杖をそれぞれ構えた。
「………………投降でもしましょうか?」
「これは戦争じゃないわ、ただの対魔戦闘よ。投降、なんてのはありえないわよ?」
「でしょうね。では……」
スッ、と魔導杖を取り出し、右手に持ったジル。
「はぁ……魔法は使えないってのに……」
「ふっ……ふふふっ……」
呆れ顔のウルスラにジルは不敵に笑うと続けた。
「デルマーノ、と言いましたか。あの男は愚かです。主の下に向かったそうですが……」
「死ぬって?もう、聞いたわ。アンタら吸血鬼が私達人間に負ける前にね」
何故、こうも嫌味を次から次へと思い浮かべられるのだろう、とアリアはエーデルを挟んで左側に立つウルスラを見つめる。
ジルは更に苦痛に歪みそうになる顔に無理矢理、笑みを浮かべた。
「くっ、くふふ……私などに勝ったくらいで、なんと愚かな……良いでしょう。教えて差し上げます。我が主の名はシャーロット・アングリフ・グレイニル。最恐と謳われた吸血鬼、グレイニル伯の実子にして、その最恐の吸血鬼を滅した最強の吸血鬼です」
――――ダンッ!!
ワータナー王城ベルトコルタから馬を駆け三時間程で辿り着ける名もなき広大な樹海。
夜闇に包まれたソコは巨大な魔物が大きく口を広げ、飲み込もうとするような畏怖を見る者に与えるだろう。
そんな樹海の奥地にひっそりと建つ煉瓦造りの三階建ての洋館。
その厚く重い扉を蹴り開けて、シュナイツ宮廷魔導師の紋章が印された外套に身を包んだ男が無遠慮に侵入した。
デルマーノである。
貴族の館を思わせる広く、天井の高いエントランスを通り抜け、二方向に伸びる階段を上った。
デルマーノは二階へ着くと直ぐ目の前の扉に手をかけた。