ナースcalling! 22
誰が美人だ可愛いだ、こういった感覚に乏しいヒロトは、満足な返答が出来ない。
「だってよ、さっきのチサトちゃんもそうだし、ハルカちゃんもかなり可愛いじゃん? なかなか居ないぜ、あんな上玉は」
「そうなんすかねぇ……?」
アキオに言われて改めて思い返せば、確かにハルカはヒロトが今まで見た中でも指折りの美人の類に入る。
チサトに関しても同様の事が言えた。
しかし、こうして他人に指摘されなければ、ヒロト自身が率直にそう感じる事もない。
あくまで、人付き合いの面倒くささが先に来てしまうのだ。
これでは、恋愛に発展しようはずもない。
そんなヒロトを知りながら、敢えてこの話題を振るアキオ。
苦笑いを浮かべながらも、アキオのその瞳には優しさの色が浮かぶ。
「何で分かんねぇかなぁ? ま、超美人のマイハニーのミキがここで働いてたってのが、何よりの証明だよな!」
「結局それ言いたいだけなんじゃ……」
アキオの熱弁に小さく溜め息を吐きながらも、ヒロトは笑みを零す。
アキオも釣られたように笑いながら、話を続ける。
「いやいや、そんな事ないぞ! ちょっとキツそうだけど、ほら、お前を診てくれた女医さんもだな……」
「私が何だって?」
突然の前方からの声に、ヒロトとアキオは顔を見合わせ、揃ってその主を見遣る。
声の主は、今まさにアキオが口にした、ヒロトを治療した女医、作島ミチルであった。
細長いレンズ越しにヒロト、アキオ両名を見遣る、妖艶さを含んだ瞳。
そのある種の緊張感すら覚える視線に、2人は思わず息を飲んでしまう。
「いやぁ、あの、噂をすれば何とやらという奴で、ハハハ……」
アキオは例の如く乾いた笑いを響かせながら、ばつが悪そうに頭を掻く。
ヒロトもとりあえず苦笑いを浮かべて取り繕う素振りは見せる。
「噂、ねぇ……」
ミチルは色香たっぷりに呟きながら、その黒々と美しい長髪を掻き上げる。
同時に翻る丈の長い白衣が相俟って、独特の存在感を醸し出している。
「いや、も、もちろん悪い噂じゃないですよっ? 先生美人だなーって。なっ? そうだよなヒロト?!」
「えっ? いや、まぁ……」
しどろもどろなアキオに同意を促されながらも、俺に振るなという視線は忘れないヒロト。
そんな2人の様子を見、反対にミチルは余裕たっぷりの笑みを浮かべる。
「あら、そう。それなら悪い気はしないわね」
白衣のポケットに手を入れ、極めて冷静な素振りで佇むミチル。
その静けさが逆に、ヒロトとアキオを不安にさせる。
そんな2人の心情を知ってか知らずか、ミチルは眼鏡の位置を直す仕草を見せながら尚も2人を見据える。
「ま、もうかなり元気そうね。退院も随分早まりそうだわ」
「おー! そうですか。良かっな、ヒロト!」
「あ、はい……」
医師であるミチルの言葉と、アキオの喜びの声に、ヒロトは僅かながら希望を感じた。
しかし彼が手放しに喜べないのは、この退屈な日々を脱しても、それと変わり映えしない日常が待っていると感じたからだろう。
それでも、ヒロトにとっては朗報になろう。少し表情も明るくなる。
「ま、お大事にね。あ、でも付き添いのアナタ。骨はまだ完全にくっついてないだろうから、くれぐれも無理はさせないように」
「了解しましたっ」
ミチルが念の為釘を刺すと、アキオはおどけた調子で敬礼して見せる。
その軽薄さの見える受け答えに、ヒロトは若干呆れた表情。
対してミチルの表情は、一見すれば穏やかなままだったが、少しばかり違った色が垣間見えた。
が、2人は気付かないまま。
「それじゃ……」
2人の脇をすり抜けるように、ミチルはその場を後にする。
すれ違い様に漂った、成熟した色気と芳香が、2人の鼻をくすぐった。
「いやぁ〜……良い女だな」
少し惚けた様子で、去りゆくミチルの後ろ姿を見送るアキオ。
ヒロトはと言えば、解放感にホッと胸を撫で下ろしていた。
面倒な人付き合いを嫌うヒロトの元に、幾度もトラブルを引き寄せるアキオ。
自身を思ってのお節介だとはヒロトも理解しているものの、毎回これでは彼も落ち着けない。
「アキオさん、もうマジで勘弁して下さいよ」
「なにっ? いや、全てはお前を思ってだな……」
こんな事ではアキオがめげないのも百も承知なヒロトだが、ここは一度念を押しておく。
「あんまり度が過ぎたら、ミキさんに相談しようかな……」
「えっ? いや、そ、それは……」
愛すると共に頭の上がらない彼女の名前を出され、明らかな動揺を見せるアキオ。
その様子を見届け、したり顔でヒロトは笑った。
「冗談ですって。そんな面倒な事しないですよ」
「そ、そうか? そうだよな、ハハハ……」
焦りを落ち着かせるように笑いながら、アキオは再び車椅子を押し始めた。
穏やかさを取り戻した空気を感じ、ヒロトは整然とした景色を眺める。
背後から矢継ぎ早に届くお節介な先輩の声を聞き流す彼の視界を、真っ白な壁や天井が流れて行った。
*
外科病棟の一室に辿り着き、部屋に入るや否や、ミチルはドアにもたれかかった。
動悸を抑えるように、上下するその豊満な胸に手を遣る様子からは、先程の余裕は微塵も感じられない。
深い呼吸を続け、ミチルはようやく一時の平静を取り戻し、ふらふらとデスクへ向かう。
「まったく、らしくない……」
椅子に腰掛けるや、机に片肘をついて額を抑えるミチル。徐に眼鏡を外し、瞳を閉じる。
その呟いた言葉からは、隠しきれない動揺の色が見て取れた。
ミチルの頭を過ぎるのは、軽薄に見え、しかし純粋で無邪気な表情。
何度も脳内再生される声、仕草。その男の一挙一動が、ミチルの思考を掻き乱す。
「何で、気になるのかしら……」
ふと、ミチルは下腹部に違和感を覚えた。キュンと、小さく収縮を繰り返すような、切なげな感覚。
久しく感じる事がなかった、もしくは抑えていたのか。
突然湧き上がった感情が、ミチルからいつもの冷静さを奪っていた。