ナースcalling! 20
「そういう訳には……」
前に回り込む途中でチサトの足は止まった。
彼女の瞳はベッドの上で微かに止まる。
「いかないんだなぁ、これが」
しかし、何事もなかったかのようにチサトはベッドへ寄っていく。
「だーっ!」
またしても声を上げるヒロト。
車椅子がベッドにぶつかるのではないかという勢いで車輪を回し、チサトの制止を試みる。
だがその甲斐もなく、チサトはベッドに広がる雑誌類を拾い集めていた。
「ちょ、待てっ! 何やってんだっ」
「何って、エロ本の上に寝かせる訳にもいかないでしょ?」
チサトは当然のように言い、尚も作業を続ける。
「って言うか、何焦ってんの? 男なんだし普通でしょ?」
「そういう問題じゃねーだろっ。女にこんなの見られて焦らない男がいるかっ」
ヒロトの顔には嫌悪以外の色が表れていた。
それは間違いなく、恥ずかしさに苛まれ、卑猥な冊子を拾い集める異性の姿に慌てふためく様である。
「あのさぁ、女って言っても看護師なのね? こんな事で恥ずかしがってたら、尿道カテーテルなんてまともに通せないし。分かる?」
ヒロトの脳裏に忘れたい事実が再生され、羞恥と激痛とに背筋が震え上がった。
余計なことまで言ってのけたチサトは、涼しげな顔をしながら集めた雑誌類を胸元に抱え直す。
「お前が看護師であろうとなかろうと、俺にとって女に変わりはないだろっ」
チサトから半ば奪うように雑誌類を受け取り、ヒロトは急いでシーツの下に詰め込んだ。
事実は変わることはないが、実物が視界から消えたことで幾分は落ち着きが戻ってくる。
しかしチサトは、卑猥な雑誌を拾い集めていた時よりも落ち着きがなくなっていた。
ほんの僅かだが、確かにチサト本人にも自覚の出来る程度の軽い焦りが何処からか沸き起こる。
その焦心は、白衣を着ることで閉じ込められている「彼女」を刺激させた。
チサトは看護師である前に、一人の……。
「じゃーんっ」
その混沌とした空気の中、満面の笑みで現れるアキオ。
「ビビったろ」
その一言で、このカオス空間を拵えた犯人が明確になる。
「アキオさんっ! マジ勘弁してくださいよっ」
ヒロトは弱々しくも非難めいた口調で言い、アキオはその訴えに愛嬌たっぷりのにやけた表情を浮かべた。
「ほら、お前は人付き合いが下手だからさ、ここで男らしいところをどどーんとアピールしてやったわけよ」
建設業に関わっているとは言え、男らしいの意味が違う。
無論、確信犯であった。
しかし、ヒロトの人間性を誘い出すには、ある程度のハプニングは必要だ。
その予期せぬ事態にヒロトの人間味が現れることを、アキオは心得ているのである。
だがしかし、アキオの思惑は全く外れたものになっていたのだった。
「つか、ハルカちゃん雰囲気変わった?」
そう、アキオがヒロトの人間性をアピールしたかったのはハルカに対してだ。
彼の視界に入る看護師の後ろ姿は、前に会ったハルカとは異なっている。
「……私、『チサト』だけど? 藤巻チサト」
「え!?」
振り返った看護師の容貌は確かにハルカではなく、アキオが全く知らない人物だった。
その事実を受け、アキオの作戦は見事に失敗を宣告されたのである。
「こ、こんな可愛い看護師さんいたかなぁ……ははは……」
アキオの口からは乾いた笑い声しか出て行かなかった。
アキオに二方から注がれる、辛辣な視線。
アキオにとっては世話焼きのつもりが、今回は軽挙妄動となってしまったようだ。
「いやぁ、まぁ、その、何だ……うん」
普段は明朗なアキオも、この刺すような空気には閉口してしまう。
この劣勢を打破すべく策を巡らすも、何故か今日の夕食のメニューしか思い付かない。
アキオは薄目がちに2人を見遣るが、彼を見つめるその目は冷たい。
「アンタの仕業な訳? 全く、古い手使うね。こんなお寒い悪戯は、ハルカ先輩にだって通じないわよ」
チサトは不機嫌そうに腕を組む。毒づく中にも、若干羞恥の色が見えなくはない。