ナースcalling! 19
二人の間に沈黙の帳が下りる。
それはヒロトに取って都合が良く、居心地は悪い。
無論、他人を苦手とする性分の彼には、その静寂を破ろうとする気が起きないのは当然。
しかし、否が応でも背後には人の気配が張り付いている。
しかも自分のために付き添っている看護師だ。
意識するなと言う方が難しい。
そして、彼の背後に張り付いているという看護師のチサトは、その静けさに得体の知れない焦燥を感じていた。
明朗快活が売りの彼女にとって、特に気不味いわけでもないのに、何故かその閑散は重くのし掛かかる。
だが、ハルカからある程度ヒロトの話を聞いているがために、どうしたものかと頭を捻っていたのだった。
閑散が溢れ返る箱の中。
そこに身を押し込めている時間が、とても長く感じられる。
しかし実際は物の数秒。
密閉は、皮肉な程あっさりと終わりを迎えたのだった。
その扉が開ききるか否かのタイミングで、ヒロトは自ら車輪を回す。
「ちょ、ちょっと……」
不意を突かれたチサトの手から、車椅子の取っ手が逃げていった。
チサトは急いでエレベーターから下り、悪戯を働いた子供を捕まえるかの勢いでヒロトの前へ回り込んだ。
「あのさぁ……」
しかし、そこに居るのは子供ではない。
出掛かった台詞を呑み込み、チサトは呆れ半分に頭を抱えてみせる。
「もういい。テキトーに回るから」
ヒロトが看護師を呼んだ理由は一つ。
車椅子に乗るための補助をしてもらうこと。
それさえ手伝ってもらえれば、後は一人にして欲しいというのが本音だ。
看護師と言えども、彼にとってチサトは初見の人物。
精神的苦痛の何者でもない。
「あっそう……って言うと思ってる?」
チサトの返答にヒロトはトドメを刺された。
もう頭を垂れる他ない。
そんなヒロトの様子に、思い知ったかと言わんばかりの表情を浮かべるチサト。
「……自分のペースで行くから」
背後に回るチサトに、ヒロトはささやかな抵抗を見せる。
自分が操作していない車椅子が勝手に進めば、人の存在を意識してしまう。
少しでも距離を置きたいヒロトは、そうして一人の空間を作り出すことを試みた。
「あれ? もしかして私、気を遣ってもらってる?」
患者なんだから……と、また説教じみた言葉を聞かされる。
そう覚悟したヒロトは、力なく車輪に手を掛けた。
「確かに、女の子だし?」
ゆっくりと進む車椅子の背後から、彼にとって多少五月蝿いバックミュージックが流れ始めた。
「っていうか、そういうのが普通だよね?」
ヒロトの内心など構わず、チサトは独り言のように続けた。
「うん、普段がおかしい。間違いない」
チサトの良く分からない台詞の数々に、彼は溜め息を洩らしていた。
*
気不味い空気を心身に浴び、気分が転換したかどうかヒロト本人にも不明なまま、車椅子は病室に向かって進んでいく。
実際、余計なストレスを感じるのであれば、向こうからは語りかけてこない天井を相手にしている方が彼にとってはマシなのかもしれない。
「はい、到着っ」
チサトが白い監獄への扉を開いた。
無論、ヒロトにとっての虚無空間をそう表現しただけで、チサトには病室の一つに変わりないが。
しかし彼女には、ヒロトとの間に流れる空気が牢獄のようなもの。
想像以上に手を焼く無口な患者は、雰囲気で嫌悪を全面に押し出してくる。
チサトの明るさも曇らせるヒロトの人見知り加減に、一種の感心さえ覚える程だ。
ヒロトを床に寝かせれば、チサトに求められた使命は一旦終了を迎える。
その手前で、アクシデントが起こったのだった。
「だーっ!」
突然、悲鳴に似た声を上げるヒロト。
あまりの不意打ち加減に、一瞬、チサトの体が飛び上がった。
「なっ、何? どうしたの?」
「何でもないっ。あとは一人でやるから……」