下宿少女 16
今年になって一番の衝撃と言っても過言ではない事態に喜びを感じながら、俺たちは今度こそ帰路についたのだった。
「そういえばそいつ、名前とか決めてんの?」
「………ん次郎」
「え?なに?」
「………にゃん次郎………」
「………」
「…な、なんですかその目は!!!」
「いや、胸と一緒でネーミングセンスも無いんだ…あべし!!!」
秋穂のボディーブロー!!!
こうかはばつぐんだ!!!
「…この変態。」
秋穂はスタスタと俺をおいて去っていく。
うずくまる俺に聞こえてきたにゃん次郎の鳴き声は、俺を哀れんでいるようだった…
…冬美の場合…
「お菓子作りの練習?」
「そう♪手伝ってほしいな〜って。」
学校が始まって初めての日曜日。
みんなでリビングでくつろいでいると突然、冬美さんがそんなことを言ってきた。
俺としては暇だったし、うまいお菓子が食べられるのであれば断る理由がない。
「いいですよ。何を作るんですか?」
「そうね…とりあえずはクッキーとかかな?」
クッキーか…手軽に作れるが様々な条件で出来映えが変わってくる奥深いお菓子だ。
冬美さんは何でも出来そうなイメージがあるし楽しみだな。
ガタタッ…
ん?なんだ?俺と冬美さん以外のメンバーは顔面を蒼白にして立ち上がっている。
心なしか体も震えているような…
「あ、あたし…友達と遊ぶ約束してたんだった!!!小春も来るよね!?」
「は、はい!!!もちろん!!!」
「あらあら、そうなの?残念ね…それじゃ、ゆうちゃんと秋穂ちゃんだけで…」
「…わ、私は………にゃん次郎!!!にゃん次郎の散歩が…」
「はぁ?犬じゃないんだから散歩なんていらないだろ?」
「…いるんです!!!」
「そ、そうなのか…」
すさまじい剣幕だった。
何というか、焦っているような。
何かから必死に逃げようとしているような…
「だったらしかたないわね…ゆうちゃん、お願いできるかしら?」
「え、ええ…」
「そ、それじゃ!!!」
「私たちは…」
「…いってきます!!!」
そういうと3人は一目散に出ていった。
何なんだアイツら…
「それじゃ、さっそく作るから出来上がるまで待っててね♪」
「あ、はい。」
クッキーが出来上がるまで時間がかかると冬美さんが言うので、俺は自室で宿題を済ませることにした。
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俺が再びリビングに行くと、香ばしい匂いが充満していた。
そろそろ焼き上がるのかな…
「ゆうちゃん。そろそろ出来るんだけど、紅茶とコーヒーどっちがいい?」
「あ、紅茶をお願いします。」
俺が席につくとすぐに紅茶の入ったカップを目の前に置いてくれる。
なんかこういうのっていいな…
本当の家族みたいで。
「ふふっ…」
?紅茶を飲む俺をみて、冬美さんが笑みを漏らした。
なんだろう…
「な、何か変ですか?俺…」
「ああ、違うのよ…」
俺が問いかけると冬美さんは僅かに困った顔をする。
「何て言うかね…弟がいたらこんな感じなのかな〜…って。」
とても嬉しそうに、本当に楽しそうに冬美さんは答えた。
「私って一人っ子だったから、ずっとこういうのに憧れてたのよ…それがこの年になってようやく叶って、嬉しいな…って思ったらついね。」
「冬美さん…」
俺が冬美さんを見つめると、冬美さんはいたずらっぽく笑って続けた。
「でも私ね、ゆうちゃんに対してはただの弟って見てるだけじゃないのよ?」
「え?それってどういう…」
ことですかと続くはずだった俺の言葉はオーブンのアラーム音に遮られた。
クッキーが完成したようだ。
冬美さんの顔もいつもの笑顔に戻っていた。
「出来上がったみたいね。ちょっと待ってて。」
そういって冬美さんは俺に背を向ける。
笑顔に戻る前に一瞬だけ見た冬美さんの顔は、ドキッとするほど女らしいものだった。