勾玉キッス☆ 126
「いんや。悪いのはボクじゃなくて、ちょっとね。今日はお見舞い」
「だれか知り合いが入院してるの?」
「うん。弟」
あっさりと神村は頷いた。
裕美が眉をひそめた。
「弟? いるの?」
「うん、いるの」
「…ケガしたの?」
「んーと。ケガじゃなくて、ちょっと体調崩しちゃってね」
笑顔には違いないのだが、なにか諦めのような、ちょっとらしくない表情で神村は斜め上を見た。
病室のある方向なのだろう。
「健康優良児のお姉ちゃんに似ればよかったのにねえ。ボクに吸い取られてる勢いで体弱いんだよね。本気で吸い取りそうだからあんまり見舞い来ないんだよ」
冗談めかした神村の言葉に、弟持ちの裕美はひどく悲しそうな顔になった。
「そんなこと、冗談でも言っちゃだめよ」
裕美は強い口調で言った。
「一緒にいてあげなさいよ。お姉さんの元気な顔をみたら、弟もつられて元気になっちゃうんだからね。吸い取ったなら、吸い取った分以上に元気をわけてあげればいいの」
吸い取ってる云々は冗談にしても、思うところはあったのかもしれない。
神村は裕美の台詞に、一瞬、泣き出す前の子供にも似た、とても無防備な表情をした。
「天野……」
低い声が裕美の名を呼んだ。あの神村幸とは思えない、真面目な声に、真面目な顔。
「な、なによ」
ただならぬ雰囲気に、じり、と裕美が後退する。
次の瞬間神村は、ソファの上の裕美にがばっと抱きついた。
「きゃあっ」
「優しいなあ。感動しちゃったよ」
わざわざ裕美の巨乳に顔をすりつけながらうそぶく。
先程の真面目な顔は何だったのか。俺はあきれながら、神村を裕美から引き離そうと肩に手をかけた。
だが神村はいやいやと肩を揺らして逆らった。
「やだっ、離れない!」
「お前は幼児かっ」
思わず素のしゃべり方になってしまった。
神村はなおも離れようとせず、裕美の腰をぎゅうっと抱いて、胸元の大きく開いたトップスからのぞく谷間に遠慮もなく顔をうずめた。
女同士だからといって、こんなことが許されてたまるか!
俺が本格的に神村を引き剥がしにかかったときだった。
「…ねえ、天野。胸のこれ、タトゥー?」
巨乳の谷間を堂々とのぞきながら、ふいに彼女は呟いた。
「えっ?」
虚をつかれた俺と裕美の、驚きの声が重なる。
「水泳のときもあったよね。変わったデザインだなあ。…なんていうのこれ、勾玉?」
上目遣いに裕美を見る。
さぐるような視線だった。
「…雅ちゃんのネックレスと、おそろなんだね」
裕美ははっとしたように目をみはった。
「これは」
「でもこれだけじゃアザみたいだよ。もっと模様入れた方が色っぽいと思うけどな」
神村は裕美の反応を見てから、やわらかく笑った。
含みのある言い方だった、と思ったのは俺の勘違いだったのだろうか。
自然な口調に拍子抜けしている間に、神村は自分から裕美を離して立ち上がった。
つかみかかる態勢のままの俺を見て、にやっと笑う。
「雅ちゃん、嫉妬してるの? 心配しないで、ボクは雅ちゃんのおっぱいも大好きだよ」
「だからなんでそういう話になる!」
反応してしまった。しまった、と思ったが遅かった。
神村がにまにま笑いで、喜んで例の講説を述べ始めようと口を開く。
「なんでかって? それはもちろん、天野のおっぱいの素晴らしさは言うに及ばないわけだけど…」
「もういいってのに……」
「二人とも、そろそろ静かにして」
裕美の声が割って入った。
俺と神村は二人して、裕美の示すままあたりを見回した。
病院のロビーはじゃれあう場所ではない。
案の定俺たちは視線を集めまくってしまっていた。
衆人の注目に顔が熱くなってくる。神村は平気な顔だ。…神経太いやつ。
俺は顔を伏せ、裕美の手を引っ張った。
「そ、そろそろバスの時間だから…」
「そっか。また学校でね」
バイバイ、と意外にサバけた態度で神村は別れを告げた。
「弟さんお大事にね」
「うん。ありがと」
裕美の言葉に、神村はへらっとにやけながら手を振った。
その後病院を出るまで、神村が異様に熱心な目つきで俺たちの後ろ姿を見つめていたことには気付かなかった。もちろん、彼女のつぶやきにも。
「如月の、巫女の印…そしてしるしをその身に刻む者…か」
困ったなあ。
ほとんど声にもならない低い独り言を、聞く者は一人もいなかった。
「護人まで可愛いなんて、ほんと、困っちゃうなあ。……可愛い上に、残酷なくらい…優しいなんてさ」
困った、と繰り返しながら…裏腹に、彼女の口の端は笑みの形にゆがんでいた。
***