暴れん棒将軍 97
四角い仕切りの中は六畳ほどの広さ。中は畳が敷き詰められ、手すりの向こうから舞台が一望できる。
いかにも高級そうな金刺繍の肘掛や座布団まで用意してある。
「ここはお殿様がいつもお使いになる席でね。今日は特別に客人の為に開けておいてくれって頼まれたんですよ、お侍様。では、ごゆっくりどうぞ」
そう言って小間使いの女はにっこり笑った。にっと笑うと歯茎と前歯がむき出しになり、その容貌はどこかネズミを思わせた。
「家虎の奴、こちらの動きは全部お見通しってわけか…」
家竜は刀を置くと座布団の上にどっかと座り込んだ。
「上様、どうなさるおつもりですか? これはきっと罠に違いありませぬ!」
「そうじゃ家竜、ここは巨大な敵の罠の中じゃ。何が起こるかわからん。決して油断するでないぞ!」
藤兵衛と大二郎が緊張した面持ちで言う。
「家虎様のご気性からして、きっと何処かで我々を見ている筈…」
「珊瑚を救うのはあたいに任しといて。だから上様は思う存分家虎をぶちのめしてね!」
脇に控える雅と楓も臨戦態勢だ。
「失礼いたします…」
その時、すっと後ろの襖が開き、女中たちが弁当とお茶の道具を運んでくる。蒔絵の入った朱塗りの重箱に詰められた豪華な弁当だった。
チョン、チョン、チョン…。
拍子木を持って鳴らしながら男が客席の間を歩き回る。いよいよ舞台の始まりである。
続いて舞台の上に現れたのは、まだ年若い少年であった。
頭にはまだ前髪を残している。白い襞襟(ひだえり)をつけ、黒いビロードのマントを羽織っている。その顔立ちは美しく女のようだ。眉目秀麗、と言っていい。
その姿は世に伝わる島原の乱の首謀者・天草四郎時貞に生き写しであった。
登場と共に、客席からは娘たちの黄色い歓声が上がる。
「きゃ〜!! 次郎さま〜!!!」
「次郎さま〜!! こっち向いて〜!!!」
周囲が落ち着くのを待ってから少年は話し始めた。
「…皆様ようこそいらっしゃいました! 夢乃屋一座の座長、天草・フランチェスコ・次郎時宗にございます! 本日は特別なお客様を迎え、一座の者は皆張り切っておりまする! 本日のみの特別な演物もありますゆえ、どうか皆様、最後までお楽しみいただきますようお願い申し奉ります!!」
壇上で次郎が深々と頭を下げると、客たちの間から一斉にわあっ…と声が上がる。
「いや〜っ! 次郎さま、行かないで〜!!」
舞台に向かって花束を投げる娘たち。その歓声を一身に浴びつつ次郎が退場すると、いよいよ本番である。
舞台を隠していた緞帳(どんちょう)がするすると上がってゆく。
現れた舞台上には大小十台以上の和太鼓が並べられ、その隙間に椅子と長方形の箱が幾つも立てられていた。中には四脚のついた平たい文机のようなものまで置いてあり、それぞれが太い紐で繋がっている。
「…なぁお師匠、三味線の義太夫にあんな大きな太鼓や箱が必要なのか?」
家竜は肘掛の上で頬杖をつきながら藤兵衛に向かって聞いた。
「ふぅむ。奇妙じゃの。特にあの箱。丸い穴が開いて中に布が貼ってあるわい。それにあの文机。全国武者修行の旅をしてきたワシもあんな奇態なものは初めて見るわい。…いや、まてよ、あれはもしや…!!」
「父上、何か心当たりでも?」
好奇心に目を見開いていた大二郎が思わず身を乗り出してきた。
「そうじゃ、あれは長崎でオランダ人が使っておった晏譜(あんぷ)と神施祭座亜(しんせさいざあ)! エレキテルを使ってでかい音を出す、南蛮の楽器じゃぞ!! きゃつら一体どこからあんなものを?」
暫く考えていた藤兵衛がぽんと手を打って叫んだ。