暴れん棒将軍 85
口には出さないものの、裏柳生への怒りはますます強くなる。
その昂る気持ちと連動するように身体もかっかと内側から熱くなり、力が漲っている。
裏柳生はまた襲ってくるのは明白だ。
その時こそ全員斬り捨ててしまおうと強く心に誓う家竜であった。
そして翌早朝。
ようやく雨がやみ、午過ぎには川止めが解かれた。
大井川を越えるにはまず『川越』と呼ばれる渡河所へ行く。
土手や堤防の手前には宿屋・飯屋・人足部屋などが二十軒ほど軒を連ねており、旅人たちはその中の『川会所』で川札を購入する。その川札によって川越人足を雇うのである。
旅人を無事対岸まで送り届けた人足はそこの川越にある『札場』に立ち寄り、川札を現金化する…という仕組みであった。
家竜は大名が乗るような一番豪華な大高欄連台を二台用意させた。
必要な川札は実に104枚、担ぎ手は合計32名もの大人数である。その一人一人にたっぷりと心づけを渡してやる。
それを担ぐ人足たちにもたっぷりと心付けを渡してやる。
「ほう、お前もなかなかに風流というものがわかっとるようじゃのう。あ、そうそう、酒も忘れずに用意するんじゃぞ!」
すっかり上機嫌の藤兵衛。
それを見ていた大二郎は心配そうに顔を寄せて家竜に話しかけた。
(上様…こんな大金をはたいて路銀は大丈夫なのですか?)
(まぁ気にすんな。俺の正体に気づいた浜松藩の殿様が包んでよこした金子がたっぷりあるんだ)
(しかしこんな無駄遣いはどうも…)
(奴らにもらった金を地元に落としてやるんだ、異存はあるまい? それに目一杯派手な川越にすりゃ裏柳生もかえって襲いにくいだろ?)
それを聞いた大二郎は渋々頷いた。
「その前にみんな、ちょっとこっち来てくれ。話がある」
家竜は一同を集めると何か打ち合わせをしているようだった。
いよいよ出発である。
一台には家竜・大二郎・藤兵衛の三人。もう一台には楓と雅が乗り込んだ。
「そうら、いくぞ!」
「えい、ほ! えい、ほ! えい、ほ…」
髭面の人足頭の号令と共に担ぎ手たちが川に進んでゆく。
蓮台の上には大きな日傘を立て、手酌ながら酒と簡単なつまみも用意させた。まるで優雅な川遊びといった風情であった。
長雨ですっかり増水した大井川の濁流となって凄い勢いで流れる。
人足たちは胸まで水に浸かりながらも連台を運んでゆく。
「えい、ほ!! えい、ほ!!」
「どうした! もっと威勢のいい声出さねぇか!」
人足頭の怒声が飛んだ。
(裏柳生の連中め! 次は一体どんな手を使うつもりだ? 来るなら来てみろ!)
裏柳生が東海道五十三次最大の難所を見逃すはずはない。
酒をちびりちびりと飲みながら、家竜は敵の出方を待っていた。
一行が川の真ん中を少し過ぎたあたりにさしかかった時。
ド――ンッ!! ド――ンッ!!
突然、周囲で爆発音と共に凄まじい勢いで水しぶきが上がった。
ド――ンッ!! ド――ンッ!! ド――ンッ!!
さらに立て続けに爆発が起きる。
「うわっ!! 危ねぇっ!!」
「何が起きたんだ?!」
「ひいぃっ! おっかねぇ――ッ!!」
「バカ野郎、それでも川越人足か!! とっとと前へ進みやがれ!!」
人足頭は怒鳴りつけるが屈強な男たちも思わず浮き足立つほどの爆発だ。
とうとう一行は川の真ん中で立ち往生してしまった。
「た、助けてくれぇぇぇ!!!」
「あれぇ――ッ!! がぼっごぼごぼ……ッ!!」
一行の周囲では爆発に驚いた人足が転び、溺れる旅人たちが口々に悲鳴を上げている。
当時の庶民の大半はカナヅチである。要するに泳げない。
大井川は一瞬で阿鼻叫喚の地獄と化した。
「裏柳生め、俺はここに居るぞ! 襲うんなら俺を襲えいぃぃッ!!!」
家竜は怒りのあまり叫んで刀を掴んで立ち上がろうとした。
ドォ―――ンッ!!!
その時、蓮台を担ぐ人足の一人の足元でひときわ大きな爆発が起きる。
「!!!」
叫ぶ間もなく一行は次々と濁流の中に投げ出されていった。
不意打ちをくらったとはいえ、一行は皆水練の達者な者ばかりだ。
大二郎が、藤兵衛が、楓や雅がたちまち水面に浮かび上がる。
「楓様!!」
「あたいは大丈夫! それより上様が…」
「上様、上様! ご無事ですか?!」
「おい家竜、早く返事をせんか!」
しかし肝心の家竜の返事がない。それらしき姿も浮かんでこない。
もがきながら水面に這い上がろうとする家竜の両足を何者かがっちりと捕まえていたのである。