暴れん棒将軍 83
貝原と駒蔵の裁きが終わると、一行は早々に府中宿(現在の静岡市葵区)を後にした。
裁判が行われた駿府城下は江戸から44里24町45間、現代のm法に換算して約175kmほどの距離にある。
江戸=名古屋間の距離が約350kmであるから、道のりはせいぜい半分といったところだ。
今回の騒動で一行は都合六日ほど足止めを食っている。彼らの健脚からすればとっくに尾張に着いている日数である。
裏柳生の襲撃がなかったのは幸いと言えたが、いくら勝手気ままな家竜とはいえ、さすがにまずいという思いがある。
人気の少ない裏街道の山道を急ぎ足で進む一行であった。
「むっ?! あやつ……!!」
藤兵衛が前方から見えてきた人影に注目した。
股旅姿の町人が笠を目深にかぶり、道中差しに手をかけて急ぎ足で歩いてゆく。
その後ろ姿には家竜も見覚えがある。
明神の常吉であった。
黒狗の駒蔵や貝原にゴマをすり、お蝶に言い寄ってふられると罠にかけてさんざん辱めた小悪党。
常吉はあの大捕物の中をちゃっかり逃げ延びて、どこかに潜伏していたのである。
「うぬっ! あの野郎、まだ生きてやがったのか!!」
思わず抜刀して駆け出しそうになる家竜を、楓が静止した。
「あんな犬畜生を斬ったら上様の刀が穢れるよ。ね、雅?」
「はっ。私にお任せを…」
編笠をかぶった雅がすうっと前に歩み出た。すると楓は雅に寄り添うと、そっと耳元で囁く。
(上手に出来たら後でまた可愛がったげる)
その言葉を聞いてあの夜を思い出した雅は赤面したが、幸い編笠のおかげで家竜たちには気づかれなかった。
「お前ら何話してるんだ、女同士でイチャついてんじゃねぇぞ!」
不服そうな家竜がツッコミを入れると、楓は平然と答えた。
「上様が可愛がってくれないから、あたい雅に乗り換えることにしたの」
「なんだとてめぇ!」
いきり立つ家竜を、今度は大二郎がまぁまぁとなだめる。
楓は雅の後ろにすっと回り込むと、着流しの裾をいきなりまくり上げた。
その下から細幅の六尺褌がぎっちり食い込む豊かな尻たぶが露わになる。
「きゃああっ! 楓様、な、何をなさいます…!」
「おおおおっ!!」
身を乗り出して思わず覗き込む家竜と藤兵衛。そして鼻を押さえて下を向く大二郎。
楓はそのままたくし上げた裾を帯に挟み込んでさっと尻っぱしょりにしてしまった。
これでは色っぽいお尻が丸見え、というより丸出しである。
「嫌ッ。こんな格好…。恥ずかし過ぎます!」
「そんなに恥ずかしかったらとっとと行っといで!」
ぱんっ!!
「きゃああっ!!!」
いきなり剥き出しのお尻をはたかれた雅が悲鳴を上げる。
気を取り直した雅は二町(約200m)ほど先を行く常吉に音もなくすう―っ…と近づいていった。
一刻も早く次の宿場に行こうと常吉は必至に歩いていたが、何やら後ろで人の声が聞こえるのでふと振り向いた。
見れば編笠の男が尻を絡げて歩み寄ってくるではないか。
何の気なしに歩いているように見えて雅の歩みの速さは恐るべきものであった。たちまち常吉の後ろにぴたりとついた。
「なっ、なんだ手前! おいらに用事でもあるのか?!」
長脇差に手をかけて突きかかろうとした時はもう遅かった。
シュッ!!
すれ違いざまに雅の居合が頚動脈を両断する。
ぶしゅううう――っ!!
「あ…あが…がっ! おめえもしや…」
常吉は首から血を吹きながら何か喋ろうとしたが、大量失血でたちまち視界は真っ暗になってゆく。
やがてよろよろとのけ反って後ろに倒れると、痙攣しながらそのまま絶命した。
「ふん…。下郎め。地獄に落ちろ!」
雅は倒れている常吉に唾を吐くと、谷にどさりと蹴り落とす。
そしてまた駆け戻ると一行に合流した。
(よくやったね雅。今夜のご褒美を楽しみにしていなよ…)
楓が胸元に顔を寄せて囁くと、それを見てまた家竜が怒鳴った。
「お前ら、それ以上イチャつくんじゃねぇ!!」
「上様だってあの女とよろしくやってたくせに。別に浮気じゃないんだからあたいたちの仲には口を出さないで!!」
つんと横を向く楓。
「なんだとてめ! どの女とやろうと俺の勝手だろが!! いいか、お前は俺の女なんだから…」
さらにいきり立つ家竜は藤兵衛と大二郎に諌められた。
楓にかかっては天下の征夷大将軍もすっかり形無しである。
急げ家竜よ、楓よ。そんなことで口喧嘩している暇はないぞ。
名古屋で待つ家虎が今度はどんな罠を張り巡らしているかもわからないのだ。
一件落着したのも束の間、相変わらずバタバタと落ち着かない家竜の身辺である。
陽が傾きかけた初夏の夕暮れに先を急ぐ一行であった。
暴れん棒将軍 外伝 完
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第四章 東海道中乳栗毛
さて、意気揚々と出発した家竜一行であったが、思わぬ問題が待ち受けていた。
それは夜半から急に降り出した雨であった。
大井川が急に増水したため島田宿で再び一泊せざるを得なかったのである。
当時、大井川は架橋や渡し舟が禁止されており、渡るには川越人足の助けを借りる必要があった。
増水によっては年に五十数日の川留めがあり、旅人は経済的にも難儀をしたという。
ここは東海道中最大の難所であり、
『箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川』
…と歌に詠われるほど有名なものだった。