暴れん棒将軍 34
「ああ・・・分かっていると思うが厳徹・・・貴公と私は、一心胴体なれど、そなたらは飽く迄手足に過ぎぬ・・・私は腕に毒矢が刺さった時に、手足と運命を共にする心算は無いぞ・・・」
「ハ!全ては娘の独断専行として処理します!!もしもの時は、我が死を持って殿・・・否!上様には指一本触れさせませぬ!!」
「うむ・・・さすがは尾張新陰流の当主・・・その忠誠心大義である。なに安心せよ私が将軍位に就いた時は、そなたとの約束は果たそう」
そう言うと家虎は、それが目当てだったとでもいう様に、庭に咲いた花を一厘だけ切り取ると、優雅な足取りで庭から去って行った。
そして庭には、主君が去ってなお土下座を続ける厳徹だけが残された。
「おのれ・・・雅・・・あの愚か者め・・・我が尾張柳生百年の悲願を無にする気か・・・」
厳徹は血が流れる程に唇を噛み絞め、まるで親の敵とでもいう様に、目の前に咲いた花を握り潰した。
一方、雅は荒れた草むらを歩き続けていた。
何処かへ行くあてなどない。
暗殺に失敗し、剣士としての誇りを打ち砕かれ、かといって破れて死ぬことも叶わず、守り通してきた処女を奪われ、あまつさえ敵である家竜に情けまでかけられるという屈辱。
今の雅には大切なものは何も残っていないのだ。
ただ、父に命じられた
『密命を果たせなんだ時には、その刀で自害せよ!』
という言葉だけがぐるぐると渦巻いていた。
(そうだ…切腹しなければ……)
そう思い至った時、しばしねぐらにしていたあの荒れ寺に自然と足が向いた。
しばらく歩いて荒れ寺にたどり着くと、そこに人の気配はなかった。
あの逃げ足が速く用意周到な糞虫がいつまでも同じアジトを使うはずもない。
身の危険を感じてすぐに移動したのだろう。
そう思って雅はがらんとしたお堂の内部を見渡していると、ひび割れた柱のスキマに何かが挟み込んであるのに気づいた。
「これは…一体何だ?」
取り出すと、それはこよりにして丸めた紙であった。
広げて見るると中には細かい文字が何行もびっしりと書き連ねてある。
神代文字だ。
中国から漢字が渡来してくる以前に使われていたと言われる伝説の文字である。
『し・な・が・わ・ふ・な・こ・し・や・り・よ・う・に・て・ま・つ』
書いてあるのは大半が意味不明な文字の羅列で、中の一行だけがそう読めた。
(糞虫が…私が来るのを見越して書き残しておいたのか?)
雅の中で好奇心が頭をもたげてきた。
どうせ切腹するだけならいつでも出来る。
(…ならば、行ってみよう!)
雅は手紙の指し示す場所に向かって歩き出していた。
暮れ六つ。
既に陽が沈みかかっている。
雅は手紙の指し示す場所にたどり着いた。
そこは、密貿易をしたかどで取り潰しとなった廻船問屋・船越屋の寮であった。
この辺りの百姓に聞いたところによると、半年ほど前ここで大捕物があり、異国に売り飛ばされそうになった娘が大量に助け出されたのだという。
それ以来住む人もなく、寮は無人のまま荒れ果てているのだ。
周囲に張り巡らされた壁もところどころ崩れ始めている。
雅はその間から敷地に入り込むと周囲を見渡した。
以前は離れであったろうと思われる建物の奥から、ぼんやりと灯りが見える。
「おい、誰かいるのか…?」
雅の問いに答えるものはない。
しかし人の気配が感じられる。
座敷の隅に子供くらいの大きさの塊が転がっていた。
それは糞虫に連れ去られた楓であった。
楓は見るも無残な姿で縛られていた。
後ろ手に縛られたまま両脚を持ち上げられ、頭の後ろで無理矢理に組まされている。
身体を半分に折りたたまれてしまっているのだ。
ヨガでいうところの『亀のポーズ(クールマ・ダヌラ・アーサナ)』に近いと言えるだろうか。
剥き出しとなった秘裂には、二本の巨大な張形が深々と押し込まれていた。
「おいっ! 大丈夫かっ?!」
呼びかけるが答えはない。楓は気を失っていた。
(なんという酷いことを…っ!! 女人を何だと思っているのだ!!)
雅の心に激しい怒りが湧き上がった。
わなわなと震えていると、後ろから不意に声がした。
「この女は手練れの忍びだ。このくらい責め抜かないと、いつ寝首をかかれるかわからねえからな!」
糞虫であった。
顔半分を覆う覆面の下からもわかるような下卑た笑いを浮かべている。
「一応隠し文は残しておいたんだが、お前が無事だったとは驚いた。てっきり死んだと思ってたぜ!」
「……家竜を倒すまで…私が死ぬものか!」
「お前、尾屋形様にしくじったら死ね、と言われたんじゃねぇのか? 何故生きている? そうか、家竜に情けをかけられたんだな。何発やられたんだ?」
雅は怒りに燃える目できっと睨みつける。
糞虫はあわてて飛び退った。
「おお怖わ! だが、その苦労も水の泡だな! 失敗したお前はもう用済みよ。あと少し経てば、各地に散っていた裏柳生の者がここに集結する。尾屋形様が家竜を消すために呼び寄せたんだ」