死後の人生 5
「トイレでヤったのかな……」
あの唇に肉棒が突っ込まれたのか。希は桜庭のそれにしゃぶりついたのか。
自分のファーストキスの唇があいつの陰茎を咥えたと思うと直哉は腸が煮えくり返る思いだった。
その時。
周囲の光景が一変した。開放感溢れる青い空が消えてなくなり、見覚えのある風景が広がっていた。
「あれ!?」
正面には黒板。
規則正しく並んだ机と椅子、そして椅子に座っているのは見覚えのある制服を着た人たち。
「なんだこれ!?」
そこは紛れもなく教室の中だった。
夢かと辺りを見渡すと、教室後方の窓際に花瓶が置かれた席があった。
(まさか……)
まるで隔離されているかのように不自然なほど隅に寄せられたその席に足が向かう。
あれは、そう。
「いっつ!」
足の爪先にあの電気ショックを浴び止まる。
けれども遠目に見てもそれは間違いなく、自分の席。
掘り刻まれた忌み嫌う意味の言葉のせいで机が黒ずんでいるので間違えるわけもなかった。
つまりここは、教室は教室でも彼がいた教室、2年C組。
いや、正確には彼がいるはずだった3年A組だった。
黒板の端には4月10日とあるので、彼を除いた生徒たちは新学期を迎えているのが分かる。
(にしてもだ)
慎重にドアに進み学年とクラスを確認することに成功した直哉は首を捻る。
アリスは屋上から出られないと言っていたのに、今いる場所は3年A組の教室。
余りに退屈で幻を見ているのかと自分の気を疑うが、先程の電気ショックは確かな痛みを伴っていた。
「あ……」
電気ショックを受けるということは行動範囲が制限されているということ。
今いる場所は教室後方の廊下側にある席の後ろ。電気ショックを受けたのは、1つ横の席の後ろを通過した辺り。
(じゃあ……)
廊下に出る。廊下に出ることはできた。教室を確認できたことに納得。
次は少し前進してみる。
「いっ!」
基準を計れるものになるのは曇りガラスに見られる生徒の影。教室後方の廊下側にあった席の1つ前の席を越えた辺りで電気ショックを浴びた。
(なるほど)
つまり出現した場所、教室後方の廊下側の席の後ろから、半径何メートルかの範囲で移動できると推測できる。
(死んでも教室の隅なのね)
自嘲しつつ戻り、改めて教室を見渡した。
2年生の時も同じクラスだった生徒、1年生のときも違うクラスだった生徒。新鮮なクラス編成に見えるが、共通しているのは、誰も助けてくれなかったということ。
同じ学年の生徒はおろか、全学年の生徒、教師も含めて、全員。
板書をしている国語教師、寺島楓(てらじまかえで)を無意識に睨む。彼女だけこちらを向いているから自然とそうなってしまう。
しかしそれだけ。あそこに行けるか試すよりも、クラスの中にいじめた張本人たちがいないか探し霊気を取り込ませる方が優先。
(しっかしまあ……)
生徒の半分が突っ伏している。最後列に至っては全滅だ。
アイマスクをさせれられ授業を受けたくても受けることができず、紙屑や消しゴムや夏には画鋲などを投げられたりしていた身としては殺意さえ湧く光景。
受けたいものが受けられず、受けられるものは放棄する。やはり世の中何か間違っている。
「あ……」
ぷるぷると震える握り拳を解いた。
目の前の、教室後方の廊下側の席に座ってる人物。廊下の方に顔を向けて突っ伏しているその女子生徒の背中には、巻かれたアッシュブラウンの髪が広がっている。
恐る恐る顔を覗き込む。
(守岡だ……)
あれだけ気持ち悪がっていたのに今は健やかな寝息をたてている。
(そういえば……)
『生きているものに自分の霊気を取り込ませることで憑くことができる』
出現した場所は教室後方の廊下側の席の後ろ。そこは希の背後。
希の背後にぼうっと、背後霊のように現れたということになる。
(じゃあ俺……守岡に憑けたのか……)
ということはおそらく、希から半径何メートルかの範囲で行動が可能。
しかも彼女は翔の恋人。彼女に憑いていれば翔に霊気を取り込ませられる機会があるに違いない。
「っしゃ! 運が向いてきた!」
死んでから、だが。
しかし、だからこそなのだ。霊となった今、人知を越えた力を使い復讐ができる。
「ああ、あのときキスしといて良かった……」
ファーストキスを遂げ、希に憑いたことで翔と接触する機会も増えた。直哉にとっては一石二鳥というやつだ。
(さてと。守岡が桜庭と接触するのを待ちますか)
よろしくとでも言うように希を見下ろす直哉。
何も知らない希は相変わらずスヤスヤと眠っている。
無防備な寝顔で、ファーストキスをした張りのある唇が柔らかく結ばれている。