死後の人生 4
ブレザーの内ポケットを探っていた翔が血相を変え、ポケットというポケットを探り始めた。
「やっべ。買ったゴム鞄に入れっぱなしだわ。これは生でやれっていう神様のお告げかな?」
「んぷは……バカ言ってないで……っていうか、なんか変っ……」
翔のことなどサラッと流し、希は胸を隠すように肩を抱く。頻りに辺りを見回している。
「やっぱりここ気持ち悪い……何かいるみたい……」
「ハハ、そんなバカな」
翔は軽くあしらうが希の方は真剣。そそくさと身形を整えて羽交い締めからすり抜けた。
「戻ろう? ううん、私戻るから」
お前の答えなど知ったことかと言わんばかりの一方的な言い種。
その態度が翔に本気なんだと悟らせる。
「マジかよ。おいおい、俺の勃起どうしてくれんだよっ」
「トイレでゴックンしてあげるから」
「トイレはいいのかよ」
それほど屋上が嫌だということ。翔は腑に落ちないながらも希の後を追って校舎の中へ戻っていった。
「待てコノヤローっ! いででっ!!」
肝心の翔に霊気を取り込ませていない直哉は後を追った。
けれども屋上の扉に触れた瞬間、静電気というには大きすぎる痛みが掌を襲った。
「どうなってんだ……いてっ!」
そっと触れても同じこと。指先に熱い痺れが走り、反射的に手を引いてしまう。
「じゃからそちは地縛霊と言うたじゃろ」
アリスが呆れたようにかぶりを振っている。
「屋上からは出れぬ。飛び降りたのなら飛び降りを繰り返す程度の暇潰しはできたじゃろうが。まあそれならば顔はグチャグチャ、手足はあらぬ方向に折れ曲がっていたじゃろうがな」
途端、血の気が引いたわけではないが直哉の顔は青くなる。飛び降り寸前にチキン魂を発揮した自分を内心で褒めまくっていた。
「ところでじゃ。まさかそち、おなごに虐げられとったとはのぅ」
「え? いや違うんだ。あれは」
「よいよい。おなごとはいつの時代も国を問わず怖いものよのぅ」
嘲笑に歪む口元を小さな手で隠すアリス。
直哉は言い訳を考えるがいいものが思い浮かばず歯噛みに終わる。
「さて、わらわはそろそろ行くかの」
「なっ、ちょっとまだ誤解が」
「なに、明日の今頃にまた来てやるわい。そちはまだビギナーじゃからの」
タッグといい、古風な話し方に織り込まれる横文字に違和感を感じざるを得ない。
そんなこと思う直哉の前でアリスの身体が宙に浮く。
「おいっ!」
「全く寂しがりやじゃな。これも仕事なのじゃ。悪く思うな」
「そうじゃくて、いてっ!」
屋上の低い縁に近付いた辺りだろうか。直哉はあの静電気の強力版ともいえる痛みに襲われた。まるで電気が流れる見えない有刺鉄線が屋上を囲うように張り巡らされているかのよう。
「パンツ丸見えだって教えてやろうと思ったのに……」
苦笑する直哉はヒリヒリする指先をさすりながら点に見えてしまうほど遠退いたアリスを見送った。
*
アリスの言は正しく、同じ場所にとどまるのはかなり辛いものがある。
辛いというよりも退屈という方が正しいだろうか。
本当に何もなく、無意味に全力疾走を繰り返してみたものの疲れることはなく。けれどもやがて飽きがきて、直哉は大の字になって寝転んでいた。
「これ100年無理!」
3時間くらいだろうか。幽霊になったと自覚してからたったそれだけしか経っていないのにもう弱音を吐いている。
しかし無理もない。全力疾走したというのに汗はかいておらず、アリスが言っていたように催す気配もなかった。太陽の動きは見えるものの体感温度は全く変わらない。身体には良くも悪くも変化を感じないのだ。
「誰か助けて〜」
もう死んでいるのだが。
だからこそ、少なくとも100年はこうしていなければならない。
せめて周りの風景だけでも変化があればいいのだが、見えるのは空模様だけ。それも雲一つないのがまた怨めしく、東の空から西の空に太陽が移った程度のもの。
「はあ……今何時だろう……」
下校時間になれば部活動をしたり帰ったりする生徒を眺める程度のことはできるだろう。
けれども時計は彼がいる屋上がある校舎の校庭側に付いていて見ることができない。
仮に下を覗き込もうものならあの電気ショックを頭に受けることになる。
「くそ。桜庭また来ないかな」
それだけが悔やまれた。霊気を取り込ませておけたなら、使い方は明日アリスに訊くことになっていたとしても、いたぶる方法を考える楽しみくらいはあっただろうに。
次こそはホモキスだのなんだの不満を抱かずに真っ直ぐ唇を奪ってやるのだが。なにせもう大事なファーストキスは異性と済ませているし、躊躇いなどない。
「っ……」
意気込む中で直哉は唇に指をあてた。
希の唇の感触が、ファーストキスを遂げた感動が、俄に蘇っていた。
「守岡か……」
理想の相手でもシチュエーションでもなかったが、贅沢など言っていられない。
彼女も女性であり、それなりに可愛い方。
死後に叶ったとはいえ、ファーストキスの相手としてはありである。