もうじき 20
山で神社までに御堂があるが、山から離れて町で暮らす者らは畜生堂と呼んでいて、畜生堂で神隠しがあったとか、兄妹や父娘が密かに乳繰り合っていたなど、いろいろな噂を囁く。彼はそうした噂を聞かずにオートバイで町を通過して、湖でカルガモの親子が泳ぐのを見ながらサンドイッチをかじり、地図を確認してから民宿まで来た。
山にある力とは噂のいかがわしさともいえる。
香織は彼には言わなかったがそう考える。
噂に耳をすまして山に入ったわけではない。雨上がりから数日後の、草木の匂いが立ち込める場所にすぎない。湖でカルガモや放されて育った鯉なども、湖のそばの茂みと湖の水中に人さらいの男が幼児の遺体を遺棄した事件かあったことなど気にしないように、彼も噂話を知らないからこそ気にならない。
香織は彼に何を考えているか聞いたりしなかった。焚き火を黙って見つめているだけだが、香織にはそれが彼の心が山に取り込まれまいと抗っている姿なのだと思い浮かべていたのだった。
香織もまた山の精霊のように語られもしてきた水の女であり、彼は焚き火を見つめながら、自分の子が生まれて同じような力があったら不憫だと思いながら欲情を抑えていたのである。
夜の山奥でどれだけ女が騒ごうと草むらの中に押し倒しても、今夜は誰も咎めない。いや咎めるのは彼自身だけにすぎない。女は恨むかもしれない。彼の中で火のようにある欲情をさらけ出してしまえたらと考えるがそれを咎めるのも自分自身だった。
彼は女にも血のように欲情が流れているのをまだ感じたことがなかったのだった。
彼は山の草むらの匂いに、欲情を咎められている気がしたが、また匂いに煽られているとも思う。
山のせいだと考えて小枝を焚き火にくべると、ぱちっ、と乾いたはぜる音が聞こえる。
まだ無自覚な踏襲者でしかない彼は、山奥で自分の体験を思い出してみる。
彼は霊を視ることも、霊から身を隠すこともできない。しかし、亡霊にとっては生者に憑依して、何度でも生き直そうとする望みを根絶する忌み子である。彼は亡霊にとっては理不尽な消滅を行う真の殺戮者であった。
他の生者にたやすく憑依して短時間であっても生き直そうとする、または未練をはらそうとする、思いを伝えようとする亡霊どもに霊媒師は肉体を共有することもできるだろう。またその思いや記憶も共有する。
オニゴ、忌み子である彼に憑依しようとすれば、たやすく消滅してしまう。
湖に遺棄された幼児らの亡霊は、巫女の恵美の祈りによって、それぞれの親のもとへ帰り、親たちの悲しみがやわらぐのを見守っている。巫女の恵美と彼は冥界に近くありながら、亡霊にとってはまったくちがうものである。
巫女の恵美は、すでに人ではない祟り神となった怨念のなれの果ての力を消滅させるオニゴも、まだ死を受け入れていない未練ある亡霊を導く霊媒も必要なものだと思うのだった。
水の女らの因果である交わった男らに祟りが起こり、悲劇が繰り返されているが、もしオニゴが水の女の因果を終わらせられるならと彼を山に行かせた。
巫女の恵美は自分が最後のイザナミの娘であればよいと願ったのだった。
イザナギノミコトとイザナミノミコトの約束、そしてオニゴと霊媒の巫女、男たちと水の女。
この謎を解ければ、何かわかるかもしれないと彼は山に来ている。
だが、山で草の匂いにつつまれながら、巫女ではない水の女の香織のそばで欲情の炎にじっと耐えているだけで謎を解けずにいる。
あまりにも無力だと彼は唇を噛み締めているが、巫女の恵美がいれば奇蹟だと彼に言ったにちがいない。