Crusade Ⅰ-2
「なんだいセシリー、ずいぶん優しいじゃないか」
警戒を解き、再びベッドにごろんと横になったエイダは、彼女の無口な同僚に気安く話しかけた。セシリーはエイダを一瞥するが、特に返答の必要性は無いものと判断したようで、今度はエステルに視線を移した。
「……エステルか。健康に問題は無いか？」
「ええ、お気遣いありがとうございます」
セシリーが言葉を飾ることは無い。エステルも、それがわかってから彼女との付き合い方がわかった。法皇庁の極秘機関であるBESTOWERS、別名『特別聖務課』は、このような変り種が多いのだ。だが、エステルはセシリーのことを存外気に入っていた。彼女は感情が感じられぬが、それは感じさせないだけで、決して彼女に感情が存在しないわけではないからだ。
「おかしい？ それは一体どういう……」
言葉の少ないセシリーの返答に満足できなかったのか、ベラがより詳しくセシリーを問いただそうとしたが、彼女はその口上を途中で中断し、何か他のものに気を向けた。それは二人の会話を後ろで聞いていたエステルとエイダも同じで、教会の外、暗闇に包まれた街路から聞こえてくる物音に耳を傾けていた。それは凡人なら聞き逃すような物音だったが、彼女らには確かに聞こえていた。少しずつ大きくなっていくその物音は、それがこちらに近づいてきている証左だ。
「……来たか」
セシリーの呟きを横に、ベラは目を瞑り、音に集中する。微かだが、金属がぶつかりあう甲高い音や、野太い会話の声が聞こえてくる。足音と思われる音は、規則的な感覚で音を刻んでいる。
「……兵が動いてる？ こんな真夜中に？」
金属音は甲冑や槍がぶつかり合う音、規則正しい足音は兵士が列を組んで歩いているものだろう。そして、甲冑や槍などを豪華に装備できて、ミドルード城下を歩ける人間は、ミドルードの兵士以外に存在しない。そして何より、今は外出禁止令が公布されているのだ。
ベラは目を開け、回答を求めるような顔つきでセシリーを見た。セシリーは小さく頷き、そこでようやく室内へと入る。その背丈は高いとは言えず、エステルより少し高い程度だ。
「……夜中の散歩、ってわけじゃあなさそうだな」
「反乱や一揆の話は出ていない。盗賊団の話もだ。……今、兵を動かす理由はボルジアにはないはずだ」
エイダの皮肉っぽい言葉を、セシリーが補足する。家督継承問題というのは、領内に波及する大問題だ。事実上の国家として機能する諸侯たちの領邦がその騒ぎに混乱している間に、地方では農奴たちの一揆や都市の反乱が起こる。だが、教会が把握している情報ではまだそれらの騒動は起こっていない。ボルジアが今現在の混乱状態で、兵を動員する理由が見当たらないのだ。
「……議論の余地は無い。足音から推測して、彼らはここへ近づいてきている」
「へえ……流石に耳が良いみたいだな。職業病、ってやつかい？」
セシリーはそれには答えず、部屋の中央から先ほどの窓へと向かい、窓枠に足をかけて飛び移るのに相応しい場所を探すために辺りを窺い始めた。やがてすぐに相応しい場所が見つかったようで、黒ずくめの彼女は跳躍する姿勢に入る。
「戦闘が始まる。お前たちも準備しておけ。私は高所より援護する」
それだけ言葉を残すと、もう十分だとばかりに、彼女は夜の城下町へと飛び去っていった。
「それにしても相変わらずですね。セシリー」
用件だけ済ませてさっさと消えてしまったセシリーを見送ると、エステルは棒立ちのまま呟く。その言葉にしたり顔でエイダが頷く。
「あれで愛想が良かったら私たちみたいに潜入任務に向いてるんだがなあ。私並みに可愛いし」
ぶどう酒を再び呷りながら嘯くエイダを横目に、ベラはずっと問題の音を聞いていた。そしてそれがセシリーの言うように間違いなくこちらに向かってきていることを確信すると、それでも納得いかないような、そして恐れているような顔つきをした。だが、まずはやらなければならないことがあると思い直したのだろうか、一度盛大に咳払いをすると、まずは飲酒に耽る同僚を叱り飛ばすことから始めた。
「可愛いお胸のエイダさん、お酒を嗜むのはまずは近づいてくる兵の問題を片付けてからにして頂けます？」
ぶどう酒を呷る手を止め、一瞬自らの胸を見てしまったからにはエイダの負けだ。彼女は自らの胸とベラの尼僧服の上からでも自己主張をする胸を見比べて、忌々しそうな顔をする。それでも、それ以上の失態を演じたくないからか、素直に立ち上がった。
「わかりましたよ。まじめに仕事すりゃーいいんでしょ？ 了解でありますよ巨乳隊長どの」
酒のお預けをくらい、ぶっきらぼうにエイダが答える。『巨乳隊長』などという名誉とは言い難い称号を貰い、一瞬笑顔のベラが眉毛を吊り上げかけたのを見て、エステルは身を竦めることになった。