たんぽぽは風に揺れて-7
(7)
そんな日々が続いていた。
ある夜、風呂から上がって部屋に入るとベッドの上に小さな箱があった。
(?……)
チョコレートが入っていた。
(バレンタイン……)
志麻子が浮かんだ。母親がこんなことをしたことはない。
(志麻子……)
本気でときめいたわけではないが、嬉しかった。幼い頃、友達や父親に駄菓子を手渡すことは流行ったことがあった。ついでに俺ももらったことがある。……
部屋をノックするとパジャマ姿の志麻子が笑って迎えてくれた。
「チョコ、ありがとう」
素直に言葉が出た。
「ふふ、コンビニの余りもの……」
「ありがとう……」
俺たちは見つめ合って微笑んだ。
「介護の資格、取るんだって?」
「うん、最初はヘルパーの資格取って、何年後かに介護福祉士目指してる」
志麻子の目は輝いて見えた。
「がんばれよ」
「うん……ありがとう」
「県の福祉課に専門の友達がいるから、わからないことがあったら聞いてあげるよ」
「ありがとう……でも、こんなバカな妹、恥ずかしいでしょ?」
「そんなことないよ、ない……」
少し力が入った。志麻子は言葉を飲み込んで、
「ありがとう」
また声を落として言った。
菓子のことにうとい俺は、翌日職場の女子職員からチョコレートの知識を得た。志麻子からもらったチョコレートはベルギーの高級チョコだという。
「コンビニにはありませんよ」
この辺では県庁所在地にあるデパートに行かないと買えないものだと知った。
「誰からもらったんですか?本命でしょ?すごく親密」
「そんなんじゃないよ」
「義理じゃ買いませんよ。自分になら買うけど」
思いがけない事実を知って俺は対応の表情に戸惑った。
わざわざ時間をかけ、余計な金を使って志麻子は俺のために……。
(そう、俺のために買いに行ってくれたのだ)
俺に特別な感情を抱いてのプレゼントではないことは当然のことだ。だが、
(志麻子がそばに寄ってきた……)
そんな気がして気持ちが弾んだのだった。
ひと月後、俺はさらに志麻子に近づいていくことにした。
「お先に」
志麻子の元気な声に振り向くとコンビニのドアが開いた。俺はクッキーの入った紙袋を持っている。デパートの名店街で買ったものだ。人に訊いて人気の店を選んだのである。
(ホワイトデー……)
飲み会を早めに切り上げて志麻子を待っていた。
「あら」
俺が手を挙げると志麻子は小走りにやってきた。
「飲み会の帰り?」
「うん。早めに切り上げてきた」
言いながら袋を差し出した。
「わ、これ……」
志麻子はすぐに察したようだった。
「デパート行ったの?」
「うん……その店が有名だって聞いたから」
「ありがとう。嬉しい」
俺が歩き出すと志麻子がついてきた。
駅からしばらく行くと店も途絶え、10時近くになると人通りもほとんどない。地方の町はたいていそうである。
「偶然同じ時間だったんだね。よかった。帰り道、暗くて怖いのよ」
俺は少し間をおいて、
「待ってた……」
「え?」
「志麻子を待ってた」
「……」
志麻子は黙っていた。ゆっくりした足取りになって靴音だけが聴こえていた。
街灯もまばらになった路地に曲がった時、俺の腕に志麻子の手が触れた。同時に体が寄り添い、縋るように腕が絡まった。
(なぜ?……)とは思わなかった。温かな幸福感が胸いっぱいに広がり、いつまでも歩いていたい思いだった。
玄関を先に入ったのは志麻子である。
「ただいま。お兄ちゃんと駅でばったり会っちゃった」
なぜわざわざそんなことを言ったのか。
『待っていた……』
俺の言葉を胸に仕舞ったのだろうか。
腕に志麻子の感触が残っていた。