1.違う空を見ている-11
返信がない。また、自分の言葉に感激してるんだ、と思っていたら、
「……君は、彼氏と連絡するときは、いつもニヤニヤしてるね」
と前方から聞こえた。
「あー、長谷さん、フィアンセに愛してるメッセですか?」
「するか」紗友美に言ってから、前方の井上の後頭部に向かって、「それに、別にニヤニヤしてません」
「運転手さん、ミラーで見えたんじゃない?」
井上が運転手に軽口を叩くと、運転手は軽い笑いで応えた。「……誘いに行ったときも、屋上でニヤニヤしてたしね」
と残りの二人は知らない事実を付け加えられる。
「覗き見なんて、さ……、悪趣味です」
最低です、と言いかけて何とか踏みとどまって、紅美子は言い直した。
「てことはニヤニヤしてたんじゃねぇか」
座席の反対側の早田が爆笑して、「いやー、長谷がそんなオトメだなんて知らんかったぜ。……最初に聞いとくけど、フィアンセって笹倉?」
「ささくら?」
紗友美が早田の方を熱っぽく見つめる。
「……コイツの中学の時の彼氏。笹倉徹」
「フルネームでバラすな。もし今もう別れてたらどうすんだ」
紅美子は腕を組んで早田を横目で睨みながら言った。
「じゃ、笹倉と結婚すんだ? すげーなお前ら。ずっと付き合ってたんだ」
「十年越しですもんねぇ」
紅美子のことを言っているのに、紗友美は早田から視線を外さない。「あ、長谷さんの中学時代ってどんなだったんですか?」
「どんなも、こんなも、ほら」
早田がピストルを模すように指を立てて紅美子を指した。「このまんま」
「えっ、こんな妖艶な女子中学生いるんですか?」
「おい。指差すな。んで、光本さんも失礼すぎない?」
「なんつったって、中学ん時の長谷のアダ名は……」
「ちょっ、早田! やめて」
「何ですか?」
「女帝」
車内で紅美子以外の三人が声を上げて笑った。
タクシーは丸の内の高層ホテルの車入れに入っていった。井上が運転手に行き先を告げる時よく聞いていなかった。どこかの居酒屋程度に考えていた紅美子は、紗友美ではないがさすがに怯んだ。泊まったことどころか来たことすら無い豪奢な外資ホテルはエントランスを入っただけでも今の自分の姿が不釣り合いのように思えた。
「早田さぁん……、私、こんなラフなカッコなんですけどぉ……」
同じ感慨を持っていた紗友美が紅美子と違うのは、低い位置から上目遣いに早田を見上げて不安そうな表情を作って言葉にする所だった。
「大丈夫。そんな畏まったとこじゃないし。……たぶん、個室だと思う。ですよね? マネージャ」
エレベータを待つ井上に声をかけると、首だけ振り返って頷いた井上は、
「マネージャは止そう。もう仕事は終った」
と言った。
「ほらね。良かったね、紗友美ちゃん。それに、別に変なカッコじゃないよ」
名前プラス「ちゃん」付けで呼んで爽やかな笑顔で見下ろす早田を、頭大丈夫かコイツ、という面持ちで紅美子は眺めていた。
ホテルの中層階にある店は、ワイン・ダイニングと銘打ってはあるが格式張ってはおらず、コースは用意されているものの、洋風にすら拘っていない料理を単品でも頼める店で、いざ入ってみると内装もそう緊張させるものではなかった。蝶ネクタイのスタッフが名前の確認もせず井上に一礼をして個室へと案内していく。男女向い合って座り、食事もワインもオーダーは全て井上に任せた。
「この店はね、順番や慣習に関係なく、ただ料理に合うワインを、っていうコンセプトでやってるんだ。少しずつだが、色々なワインが楽しめる」
井上は食事の皿が出てくる度、ウェイターが取り分けている間にソムリエを呼んでワインも変えさせた。なので食事が進むごとにグラスを開けていくことになる。
紅美子は不機嫌だった。早田が口説き、紗友美が口説かれる、出来レースの飲み会のはずだった。しかしタクシーの中でネタにされた上に、この店に入っても話題は紅美子から移らず、早田が紅美子のネタを話すと既にワインで真っ赤になった紗友美が笑うという構図が出来上がって会話が進んでいく。紗友美が普段から聞き出そうとして紅美子にはぐらかされている、徹の話題を振り、二人は付き合って十年だが、もっと前に出会っている、という知らなかった事実に声を上げた。
「……っていうか、今までの人生の殆どを一緒にいる、ってことですか?」
「そう」ワイングラスを片手に早田が頷きながら、「幼馴染ってやつ?」
「へえ……、初めて会ったのが五歳……」
紗友美は紅美子の方をまじまじと見た。「……なんか、萌えますね」
「なんだそれ」
紅美子もワインを開けた。自分をネタにされて不機嫌だったということもあるが、料理の度にワインが変えられようとすると、少し残っているのももったいなく思えて、貧乏性だなぁ、と自嘲しながら飲み干していた。
「えー、萌えるじゃないですかー。幼馴染なんて、マンガとかドラマの鉄板ですよ」