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爛れる月面
【寝とり/寝取られ 官能小説】

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1.違う空を見ている-10

 最早取引先の上職の前でも声のトーンをコントロールすることを止め、あの紗友美でも伝わるであろう不機嫌な声で出た。
「長谷さん! どこで何やってるんですか!」
「あー……。今思いっきり取り込んでるんだけど。……光本さんのせいで」
「とっとと戻ってきてください! 定時までに伝票終わらせるんですから!」
 それを今日朝イチに言え。
「私行けないよ?」
「えっ! 何でですか!」
 わかっとらんな、コイツ、と思ったが、逐一説明するのも面倒だし、井上がこちらの様子を伺ってるのも気づいていたから、
「……愛する婚約者がいるので」
 とだけ言った。これなら紗友美もわかるだろう。
「長谷さんは鬼ですか?」
「鬼ぃ……!?」
 ひどい言われように、さすがの紅美子もカチンと来て、様々な言葉が頭を巡ってどれを選んでよいか分からなかった。
「……私は彼氏と別れて寂しいんです。二週間連続で一人で土日を過ごしたんです。早田さんはそんな神様が私にプレゼントしてくれた出会いなんです。要はですね、男に飢えてるんですっ!」
 私だって徹に会ったのは三週間ぶりだったわ、と言いたかったが、紗友美と同じようなあけすけな言葉を井上を前に吐くわけにはいかなくて飲み込んでいる間に、「……長谷さぁ〜ん……。お願いですから来てくださいよぉ。私を助けると思って。お願いです」
 打って変わって紗友美が猫撫で声になった。
(かといって……)
 井上を一瞥して、やたら鼻について腹立たされたこの男のナンパに乗る形になるのは嫌だった。
「私、今日行けるなら、明日以降も絶対頑張ります!」
 しかし、紗友美の言葉に心が揺らいだ。時期的に伝票処理が多い月だった。紗友美に付き合わされて残業するくらいなら……。
「わかった。……戻る」
「やったっ! 早く戻ってきてくださいねっ!」
 一方的に電話を切られた。
「合意したかい?」
 顎に手を置いて指先で口髭をトントン叩いていた井上に向かって、
「……仕方ないですが、行きます。仕方なく、です」
 と言った。
「よし、交渉成立だ。……さっきのコーヒーは旨かった。美人が運んできたから尚更だったんだろうけどね。ここを出たところにあった喫茶店のものだろう? 我々はそこで待ってる」


「にじゅうねん!?」
 紗友美の大きな声が個室に響いた。
 約束通りに紗友美は能力の有らん限りを発揮して、定時よりも前に伝票入力を終わらせた。終わらせると同時に更衣室に駆け込みメイクを直し始める。あまりの豹変ぶりに呆れる以上に笑いが起きて、紅美子は伝票の束を持って経理担当に渡し、二人ともあがることを伝えて更衣室で制服を着替えた。
 こんな服じゃなくもっと女子力高い服で来たらよかった、と紗友美は何度もボヤいたが、思いっきりガーリーで悔しいほどに紗友美にピッタリ似合っている服装を見て、仕事終わりに飲みに行くんだからそれくらいでいい、むしろ気合入ってる方が引くでしょ、と励ました。紅美子は細身のホワイトジーンズに、肩から二の腕が花柄のシースルーになっている紫のカットソーだった。
(こんなカッコで飲みに行ったら徹にきっと泣かれちゃうな)
 冷房対策に置いていたストールを羽織って、肌が仄見えてしまう上半身だけでも隠してやったが、それはヒールの高いパンプスで余計に長く見える脚を却って強調させた。品の良かったスーツ姿の二人に比べればラフな格好だったが、飲みにいくならこれくらいでも別にいい、と思った。
「予約を入れておいた」
 喫茶店に行くと、そう言って井上が立ち上がった。早田に会うなり思いっきり睨んでやると、早田はおどけた様子で舌を出して頭を掻く真似をし、井上に追いて出て行こうとするから、紅美子は後ろから腰にバッグを振り叩いてやった。迎車させた大型タクシーに井上が自ら助手席に乗り、体の小さな紗友美を真ん中にして三人で後部座席に乗り込んだ。
「……普通、上司を後ろに乗せて、あんたが助手席に乗らなきゃいけないんじゃないの?」
 早田に言うと、助手席から井上が振り返って、
「何? 君は僕の隣が良かったの?」
 と聞いたから、狭い車内なのに体の小さな紗友美をさらに押しのけるように長い脚を組んでやった。早田の方に押しやられた紗友美が幸せそうなのを見ながら、徹にメッセージを送る。
『今日、会社の子と飲みに行く』
『誰?』
 また、即返信だった。
『一緒に派遣されてる子。小っちゃい女の子、って言ってた子だよ』
『そうなんだ。俺は今日は残業。成果発表、近いんだけどちょっとピンチなんで』
 徹に残り二人のことを言うべきだろうか、と迷ったが、男二人の存在を教えてしまうと、研究どころではなくなるだろう。成果発表は査定にも関わり、東京へ戻りたい徹の希望に影響するかもしれない、と思ったから、『がんばって。私のために』とだけ送った。


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