出会い-3
「てきめんだ…」
言い知れぬ迫力に圧されて俺は真顔になった。だからといって信じたわけではない。そんな夢みたいな薬などあるはずはないと思っていた。しかし、夢でも何でも、もしあったらと想像するだけでもわくわくしてくる。実際、そんな妄想の世界に浸りながら憧れのグラビアアイドルを犯して自慰に耽ったこともある。
「てきめんっていうことは、試したのかい?」
「俺だって化学者の端くれだ」
昔、自分を笑い飛ばした助手を捜し出したという。
「薬を作る切っ掛けの女だ。適当な理由をつけて呼び出した。女は不審そうな顔をしていたっけ。今頃何の用だろうと思っただろう。なにしろ二十年ぶりだからな。四十を過ぎて子供もいるといっていた。女には怨みもあったが、誰でもよかったんだ。だが薬を飲ませるには見ず知らずの相手ではなかなかチャンスがない。それで見つけだしたんだ」
「執念だね」
喫茶店に誘い、隙をみてコーヒーの中に薬を入れると知らずに飲んで、三十分ほどで目つきが変わってきた。
「とろんとしてきてな。落ちつきがなくなって、しまいに何て言ったと思う?」
俺は答えず爺さんの言葉を待った。
「私、昔から先生のこと好きだったんです、だと」
爺さんは喉の奥で低く笑った。
薬の完成を確信して店を出ると何も言わずにホテルへ向かった。女は素直についてきた。
「女は狂ったように裸になってむしゃぶりついてきた」
「そりゃすごい。たっぷり復讐だね」
爺さんは俯いて、淋しそうな目を向けた。見方によっては笑っているようでもあり、泣いているようにも見えた。
「肝心の『男』が機能しなけりゃ話にならんわな」
「出来なかったのか?」
「気持ちだけはいきり立っていたがな。生の女の裸を見るのも触るのも初めてだった。体中を貪って昂奮した。だが、勃たないことにはどうしようもない…」
いつの間にか夜の帳が下りていて、爺さんの白髪の髪と髭が街路灯の明かりをうけて光っていた。
「そんなに効くんだったら大量につくって売ったら大儲けができるな」
爺さんは俺をじろりと睨んだ。
「これは犯罪だ」
「犯罪?」
「考えてもみなさい。これは強姦行為に等しい」
「だって、相手から惚れてくるんだろう?何もまずいことはないよ」
「薬によって脳の神経の一部、性中枢などを麻痺させて、一時的にフェロモンを過剩に感じ取るようにする。簡単にいえばそういう理屈だが、惚れてくるのは相手の意思ではない。薬の効力だ。睡眠薬を飲ませて犯すのと大差はないんだ」
助手だった女に実験をしてみて、愚かにもそのことに気づいたと爺さんは言った。
よほど処分してしまおうかと思ったが、二十年その薬のために時間を使い、すべてを失った自分の哀れさを考えると踏みきれずにいた。
「それと、大量生産は無理だ。抽出が難しいんだ。やっとこれだけ。50CC.これが限度だった。俺が一回分使ったから少し減ってるが…」
「そうか…」
「俺も長くはないんだ…」
爺さんはシャツ捲ってみせた。パンパンに膨れている。
「肝臓がんだろう…」
ぽつりと言った。
「こうなったのは自業自得なんだが、世の中にはこんな薬を夢みる不器用でもてない男もいるんだ。だから密かな楽しみとして誰かに使ってもらおうかと思って捨てずにいた…」
俺は苦笑した。
「俺もそのもてない男に見えたってことかい」
爺さんはふんと鼻で笑って、
「まあ、それもあるが、あんたに決めたのは他でもない。酒をもらったからだ。それだけだ」
爺さんは残りの酒を飲み干すと、早速薬の説明を始めた。
液体をそのまま飲ませても自分に惚れてはくれない。薬の効力はあるが、理論上は男なら見境なく求めてしまうことになる。自分だけの薬にするためには尿を5℅混ぜる。
「それだけで完了だ」
効き目が現われるのは服用後約三十分ほど、効いている時間は六時間程度だと思われる。
「なにしろ使ったのが一度だけだからな。時間の正確なデータはない。分量の多寡でどんな状態になるか予測できないところがある。計算上と一度の結果で推量すると2〜3CC飲ませれば十分だ。それは守ったほうがいい」
俺は気になっていたことを訊いた。
「薬が切れた時、女はどうなる?」
「わからない…」
「わからない?」
「最後まで見届けることが出来なかったんだ。怖くてな。もしホテルで覚醒して女が自分の行動に記憶がなかったとしたら、大騒ぎになるかもしれん。そうなったら言い訳のしようがない。だから効いているうちに逃げ出したんだ。だから結果はわからない。あんたも危険は避けたほうがいい」
爺さんが立ち上がったので、俺はバッグの酒を手渡した。
「明日、飲もう」
口元がわずかにほころんで、そのまま背を向けた。ゆっくり歩く枯れ木のような後ろ姿は、見送っているうちに暗い木立の中に消えていった。
帰り道に薬局でスポイトを買い、早速言われた量の尿を入れた。
(惚れ薬!)
俺のための『惚れ薬』……。
無色透明の液体である。においを嗅ぐと仄かに甘い香りがするものの、粘性もなく水と変わらない。
(これで俺はもてもてになるのか?……しかも小便を入れて……)
自然と顔が綻んできたのは全面的に効力を信じたからではない。いんちきに決まっている。からかわれたか。……ただ、それでも否応なく淫靡なストーリーが膨らんでいった。