名探偵 鳴海清隆─新たな人生の始まり─ 3
*
(間違っている……)
その人物は、使い慣れたナイフを光に照らすと、その輝きに目を細め、刀身の研磨の具合を確かめた。
鋭い。
最高に鋭利だ。
その一振りで人を斬殺せしめる金属。
その重みを、彼(あるいは彼女)の手が感じる。
(間違っている。これは間違った未来だ)
彼女(あるいは彼)は、窓の外に視線を向けた。
家の明かりも消えた夜の街のなかの、大きな建物。微かな月明かりが映し出す赤十字が、それが病院だと告げている。
(正さねばならない)
彼(あるいは彼女)は、さきほどのナイフをその病院へ向けた。
(正さねばならないのだ。そのために、生きているべきではないものを葬る)
そして小さく声に出して呟く。
「鳴海歩を殺すのだ」
*
エレベーターを出た辺りで、ピアノの旋律が聞こえてきた。
歩なら、例え片手であろうともっと音を響かせることができるだろうに。そんな配慮がなんとも歩らしい。
「リストか」
ノックの後、病室に入るなり清隆は言った。
「ああ。この曲は動ける内に弾いておきたい」
歩の演奏している曲は、フランツ・リストの『詩的で宗教的な調べ』の第三番、『孤独の中の神の祝福』だった。本来片手で弾ける曲ではないのだが、巧みなアレンジが加えられている。
「具合はどうなんだ」
「悪くない。とりあえずピアノが弾けるからな」
そう言って歩は、ほんの僅かに笑んだ。
歩の音は、実に晴れやかに洗練されていると清隆は感じた。
才能や、清隆へのコンプレックスに縛られていた頃の調べとは明らかに違う。
自分とどちらがうまいだろうと、清隆は一瞬考えた。
「兄貴こそ、無理してこなくてもいいんだぜ。姉さんもきてくれるし」
「無理なんかしていないさ。大切な兄弟のスキンシップをだな……」
「んなことより、姉さんを大事にしてやれよ」
軽口を叩く清隆に、歩も軽い感じで返す。
昔の通りとはいかないが、ぎくしゃくした会話にはならないことが清隆には喜ばしかった。
楽譜に向き直った歩は、またリストの調べを鍵盤でなぞりだす。
そうしながら、ふと口を開いた。
「なにか、あったんだろ?」
努めてさりげない口調で、歩が清隆に尋ねる。