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逆転!関が原
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逆転!関が原 32

仕上げに大野治房、木村重成、薄田隼人、織田有楽ら豊臣譜代の者そして大将豊臣秀頼自らが出陣し戦いを決定付ける。

「以上のような作戦であります。」
真田信繁が軍議の席で言った。これに対し秀頼は
「真田殿にしては力責めの感があるが?」
と尋ねた。
「はい。しかし、伊達殿が篭城する敵と戦う段階で我々は総攻撃をかけるべきと考えます。」
「そうか。」
秀頼が答えると大野治房が言った。
「他に意見があれば何なりと申してほしい。末席の諸将も遠慮は要らぬ。ここは軍議の席であるぞ。」
「ならば拙者から質問をさせて頂く」
そう言って発言を求めたのは筑後柳川の立花左近将監宗茂である。太閤秀吉から存命時に《その忠義、鎮西一。その剛勇、また鎮西一》と言われた武将だ。因みに真田信繁や伊達政宗と同年齢である。(永禄10年生、慶長19年現在48歳)
「真田殿は南蛮船を使うと申されたが、いくら坂東太郎(利根川)が大河とはいえ、南蛮船が如き大船は浮かびますまい。恐らくは徳川方もそう計算しておる筈」
「……」
宗茂の発言を信繁は黙って聴きながら眼で続きを促す。
「しかしながら陸上を運ぶにも《仏狼機》はともかく南蛮の大筒は重過ぎて決戦には間に合いますまい。つまりは真田殿にはその対策を既に用意されてるものと心得るが…出来れば如何するのか明かして下され」
「あの説明で問題点だけでは無く当方の心中まで慮られたとは、流石は立花殿。鎮西一と言われただけは有りますな」
信繁の発言を聞いて上座の秀頼も喜色を浮かべた。
「そうか、既に策を打ったとは流石は我が軍師じゃ!その事に思い至った宗茂の知謀もまた見事也!」
2人は秀頼が褒めた事で面目を施し平伏する。
「では信繁、お主が考え付いた策を披露してくれぃ!」
「いえ、簡単明瞭な事で御座いまする。南蛮船では川が溯れぬならば、溯れる船に大筒を載せて溯れば良いのです」
正に《コロンブスの卵》の様な発想の転換に諸将は驚きの声を上げる。
「具体的には南蛮船の技術を使いつつ、他の形をした船を用意致しました。そうですな、唐入り(文禄・慶長の役)の際に敵勢が使っていた《亀船》の様な形で御座る」
「亀船か…。あれならば利根の川を溯れるだろうな」
実際の亀船は装甲船などではなく、板張りの天井に亀の甲羅模様を書いた木造の突撃船である。しかしながら鉄砲程度ならば漕ぎ手達を完全に防御し、衝角で日本の安宅船の船腹に突撃して穴を開ける策は大変優れた戦術であった。日本の水軍は殆ど太刀打ちできず、名将の李舜臣を始めとする朝鮮水軍に敗北していたのだ。
当時豊臣勢の兵站を管理していた石田三成は強敵である此の船の研究を行っていた。今回はその石田家の資料を元に《摂津》級南蛮船と共に同様の技術を用いて突撃船を建造したのだ。

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