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逃亡記
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逃亡記 1

時は江戸時代、所はある田舎の小藩。
ここに佐藤 新左右衛門 俊明(さとう しんざえもん としあき)という一人の若い藩士がいた。
俊明は二十歳、三十石取りの平侍である。
彼は佐藤家の生まれではない。
男子に恵まれなかった佐藤家に婿養子として迎えられたのだ。
実家は佐藤家より少しばかり家格が上だが、俊明は次男坊なので家督はいずれ兄が継ぐ事となっている。
本来ならば部屋住みのまま一生を終える所を、格下の家とはいえ養子として迎えてもらえた事は本当に有り難い事だ。
俊明は生来、真面目で誠実な性格だった。
同年代の若者達が、飲む、打つ、買う…と遊び回る中、彼は真面目に武芸と勉学に励んだ。
その甲斐あって藩校では最優秀の成績を収め、通っていた剣術道場でも剣の腕で俊明の右に出る者は居なかった。
そういう努力が認められたからこそ彼に養子の口が来たのだ。
だが彼はそれを他人に誇るような真似はしなかった。
努力をしたから結果が出た…それは当然の事であり自然な事だ。
わざわざ他人に話すような事ではない。
そういう成果を声高に周囲に主張する事によって自らを奮い立たせる人も居るが、彼はそういう事もしなかった。
同僚との付き合いは良い方ではなく、口もあまり達者ではなかったが、真摯に仕事に臨む態度から同僚や上役からは信頼されていた。
ただし、そうした俊明の態度を快く思わない者達も少し居た。
彼らに言わせれば“あいつは調子に乗って気取っている”という訳である。
まぁ、そういう者は概ね何に対しても批判的で、おまけに嫉妬深い。
周囲の者達もその辺は良く解っているので、俊明も特に気にしてはいなかった。
彼の役職は書物方同心…すなわち藩の書物蔵を管理する仕事である。
書物蔵には過去数百年間の藩の記録が保管されている。
日々、様々な部署の者がやって来る。
「佐藤殿、探してもらいたい記録があるのでござるが…」
「どのような記録でござろう?」
「藩境近くの鉱山を掘り進めて行ったら、知らぬ間に隣の藩の領地に入ってしまっていたのでござる。それが向こうの知る所となり“我が藩の鉱脈を掘るなら鉱山の利益の一部を寄越せ”と抗議して参った。このような事は過去にもあったであろうか?もしあったのなら、その時はどのように対処したのであろうか?それが知りたいのでござる」
「承知つかまつった。確か過去にも似たような事例が二回ほどあったはずでござる。その時の記録を持って参ろう」
「かたじけない。探し物は佐藤殿が一番早くて助かるでござる」
「ははは…拙者は書物蔵のどこにどの記録があるか暗記しているでござるからな」
このように、情報を必要としている人に必要な情報を提供するという、非常に地味な仕事である。
はっきり言って出世の見込みも無い。
だが俊明は今の仕事に不満は無かった。
これが先祖代々佐藤家が受け継いで来た職務なのだから、佐藤家の家督を継いだ自分はその職務にただ尽くすのみ…そう思っていた。

「ケッ!佐藤のやつめ、また他の部署の者に愛想を振り撒いておるわ。それ程までに他人から良く見られたいのか…八方美人め」
上村 剛之丞 重文(かみむら たけのじょう しげふみ)…彼もまた俊明の事を快く思わない一人だった。
重文は書物方の同心達の中では古参であり、気位が高かった。
そんな彼にとって、まだ若く性格も地味な割に上役や他の部署の者達からは妙に評判の良い俊明は、気に入らない存在だった。
「フンッ!俺はあのようにむやみやたらに他人にペコペコしている奴を見ておると腹が立つわ!ああいう奴は常に他人から自分がどう見られておるのか気になって気になって仕方が無いのであろう。哀れな奴よのう〜」
聞こえよがしに挑発的な独り言を言う重文を見て他の者達は話し合う。
「上村殿は本日も機嫌が悪いようでござるな…」
「誰よりも他人の目を気にしておるのはご自分でござろうに…佐藤殿、あのような戯言は気にせぬ事でござるよ」
「皆さん、かたじけのうござる。しかし拙者は思うのでござるよ。上村殿にも何か事情があるのではなかろうか…人を呪い世を呪うような言葉を吐かねばやっていられないような何かが…」
「さ…佐藤殿…」
「そなたは本当にお人好しでござるなぁ…」
自分に対して口汚く悪態をついてくる者にまで同情の心を抱く俊明に同僚達も呆れ果てた。

ある日、俊明は上役である書物奉行に呼び出された。
「お呼びでございますか?」
「うむ、よく来てくれた。実はのう、そなたに良い話があるのだ」
「はあ、良い話…とは?」
「そなた、書物方から勘定方へ行く気は無いか?」
「え!勘定方へ…でございますか?」
勘定方は会計を扱う部署だが、今いる書物方と違い、算盤の腕次第で、ある程度は出世も出来るという。
まさに俊明にとっては腕の振るい甲斐のある所という訳だ。
書物奉行は言った。
「聞く所によると、そなた、藩校の成績は常に一位だったというではないか。そのような秀才を書物方に置いておくのは勿体無い…と、先日そのような事を酒の席で勘定奉行に話したら“そんなに頭の良い奴ならば是非とも我が勘定方に欲しい”という事になってのう…どうだ?勘定方へ移籍せぬか?そなたさえ良ければ殿やご家老方へ話を付けてやるが…」

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