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吹けよ暴風、荒れよ台風
その他リレー小説 - 戦争

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吹けよ暴風、荒れよ台風 10

 整備面でも、機銃やエンジンと言った社外供給部分はともかく、整備などに職人芸を要する箇所を極力減らす工夫を怠らなかった。こうした扱いやすさに配慮した先進的な設計を施した十三試艦戦暴風であったが、暴風で初採用し、のちの自社製品にも用いた大阪航空工業側の工夫が、文盲に近い者でも整備方法を習得できる整備教範(マニュアル)の作成である。
 他社と異なり、大阪航空工業の機体に付属する教範は、絵物語調、場合によっては漫画家に依頼して、絵を多用して極力文章に頼らず教え知らせる構成となっていた。
 当初はこのような教範に対し、軍の反発を受けたばかりか、当の整備兵からも職人気質からくるプライドで撥ねつける者もいたというが、戦時になると教えやすさに気づく教官やベテラン整備兵も増え、次第に当たり前になっていく。
 故障する前に直す事を重視して、一定期間使用した部品は速やかに交換するよう、その交換周期も含めきちんと書いていた。
 しかも、後には簡単な標識絵と数字だけでそれぞれの部品の交換周期を知らせ、部品の付け外しの仕方も極力絵だけでわかるように描かせているなど、異様に徹底していた。
 あまりの教範平易化の徹底ぶりに、理由を高橋社長に尋ねた者がいたというが、その答えとして、こんな話さえ伝わっている。
 真偽は不明だが「アメリカにもし勝てるとしたら、国際社会の風向きが神風のように変わるか、それとも日本の人口半減を覚悟で大消耗を強要するかのどちらかだ。それなら、最初から少年少女が見ても整備できるように教範を書いておくべきだろう」と高橋社長は言ったとも言われている。
 当時の社員達に取材した作家によると、「扱いやすさを重視する社長の考えが色濃く反映された」「対外供与を見込んだものだった」との答えが返ってきており、取材をまとめた著書にもそう書いているが、作者がこの取材で先述の話について聞くと当時の社員の何人かは、「発言してはいないだろう」と言いつつも、「あの社長ならそこまで考えていたかもしれない」とも語っており、一種異様なまでの整備性へのこだわりが窺われる。
 ともあれ、当時のアメリカでは英語圏外の兵士に供与する兵器の為に、映像業界にも協力を得て、極力言語に頼らないマニュアル映像を作成させたりしていたという。
 そう見ると絵物語的な平易な教範自体、当時の日本ではかなりの革新的な工夫であった。
 もっとも、このようにわかりやすくした整備教範に対する現場の反応は様々だった。
 整備現場では学歴の低い兵士も多かった上に自動車も普及していなかった時代故、「教えやすく覚えやすい。他社も見習ってほしい」と絶賛する者、整備の腕に覚えがあるがために「こんな絵本で学べってのか?馬鹿にしてるのか?」という一部ベテラン整備兵、「こんなので新人が実戦機の整備を覚えたら、他の(整備教範が難解な)機体の整備を教える時どうすんだよ?甘やかすな!」と反発する者と、ずいぶん評価は分かれた。
 
 

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