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吹けよ暴風、荒れよ台風
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吹けよ暴風、荒れよ台風 1

〜前史〜

 昭和13年7月、盧溝橋事件勃発。さらに北支事変なども勃発する中、政府は本来戦争不拡大方針であったが、頻発する衝突や、満州事変などの現地の独断先行の前例もあり、こうした無秩序な暴走と再発する衝突によるとめどない拡大を憂慮した昭和天皇の「可能な限り短期間で南京を攻略し、必ず即座に終戦せよ。その後は長城の北に退け。もし来年になっても戦火が止まぬなら、陸相、参謀総長らは腹を切って詫びよ」との強い要求が出された。
 これを受け、陸軍は即時動員可能な常設兵力のほとんどに当たる15個師団を投入する準備を行っていた。
 7月中には、郎坊事件、広安門事件、通州事件などが次々に発生し、7月末には支那駐屯軍が北京・天津一帯を制圧した。
 この後日本軍は矛先を南京に転じ、本土から次々に送り込まれてきた常設師団は一挙に南京を目指した。言うまでもなく、極力短期間で決着をつけ、昭和天皇の御心に沿うためである。
 戦前に短期決戦案でのシミュレーションが行われていた事もあり、支那事変は精鋭部隊の集中運用や長江の水運も利用した素早い進撃により、11月8日には南京が陥落した。
 これで戦闘は実質的に終結し、上海租界で各国代表同席のもとで停戦協定が成立し、日本本土が戦勝ムードに沸いた。停戦を確実にするため、前線に残す部隊は本土から動員された部隊から慎重に選びだされ、共産党を含む中国側の挑発にも耐え、和平まで大きな紛争に発展させなかった。
 昭和14年1月に日本政府と中国国民政府の間で正式に和平条約が締結された。世に言う「香港和平条約」である。

 日本本土が戦勝ムードに沸く中、南京陥落に続いて2度目の提灯行列を練り歩いて国民一同がこの勝利を祝っていた。
 和平の条件としては、日本が基本的に長城を境に南側では租界防衛などの兵力を残して全面的に撤退する事、中国側も一切の挑発行為をせず、共産党などによるものも徹底的に取り締まるという物であり、かなり寛容な条件であった。
 勝利に勢いづく日本側関係者も多かったが、昭和天皇の厳命により陸海軍ではそうした者達が片端から左遷されたり引退に追い込まれ、戦勝を宣する玉音放送の効果もありどうにか抑え込まれた。

 この和平で安堵し、勢いづいた人々がいた。
 1940年東京オリンピックと、皇紀2600年日本万国博を推進していた人々や経済官僚である。

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