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吹けよ暴風、荒れよ台風
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吹けよ暴風、荒れよ台風 7

 だが、ハ50木星を搭載した戦闘機がロールアウトするのは、しばらく先の話となる。
 大阪航空工業は新興で開発陣にも余裕がなく、先に十三試艦戦を完成させなくてはならなかったからだ。とりあえず火星一一型を搭載した試作機を、岸和田の本社工場で製作しては、貝塚に設けた飛行場で試験飛行を行う日々であった。
 後に「暴風」の名で制式化され名を馳せる十三試艦戦も、この時はまだ1500馬力クラスの大味な機体に過ぎなかった。
 前述のように機体形状を突き詰めた、特に機首から操縦席までの形状は徹底的に突き詰めたので速度性能は良好だった。
 艦爆兼務を狙った所から運動性能はまずまずで設計通り(ただし戦闘機としてテストした、海軍のテストパイロットは九六式艦戦に格闘戦で勝てないことに不満を述べたが)だったが、艦爆を兼務させようとして機体強度はかなり高くしてあり、時速800q以上での急降下でも何の問題も起きず、この点は海軍側を驚かせた。
 だが、急降下爆撃時に引き起こす為のダイブブレーキや、艦上機に求められる発着艦性能を盛り込むのには流石の高橋社長ら大阪航空工業技術陣も難渋した。
 急降下爆撃試験でダイブブレーキの効きが足りず、危うく墜落しかけたこともあった。
 着艦試験では、機体重量の関係でかなり優しく着艦しないと着艦制動索が千切れる問題も判明し、着艦性能の改善要求も出された(後には全般的な艦上機の大型化傾向に伴い、制動索を強化されたためこの問題は解消された)。
 陸上基地では問題にならなかった事だが、十二試艦戦(のちの零戦)と同じく、離陸滑走距離を「風速12m/秒で70m以下」と計画要求書に書かれたため、何とかそれに収めようと苦心惨憺し、主翼形状やフラップの改良で爆装無しでなら「風速12m/秒で70m以下」で発艦できるようになった。爆装時は艦爆隊として、艦戦隊の発艦後に発艦させるのでかろうじて何とかなったが、開発当初は離着艦性能や航続性能で、要求性能の緩和を求めて高橋社長らが海軍側と激論する一幕もあった。
 彼の部下達は後に、「こちらから持ち込んだ企画で、これほど条件について激論を交わす社長は硬骨漢過ぎてこの開発計画を潰してしまうのではないか」と本気で心配したと回想している。部下の中にも、社長を諫める者もいた。
 それでも高橋社長のカリスマと熱意に惹かれた技術陣は、溢れんばかりの情熱で難題を一つずつ解決していった。

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