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吹けよ暴風、荒れよ台風
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吹けよ暴風、荒れよ台風 4

 対日戦で南京を失陥して和平に追い込まれた国民党は威信を大いに損じていたし、中国共産党とソ連からすれば、このままでは中国の人民と市場をアメリカに渡してしまう事になる。国民党政府の腐敗も手伝い、共産党の活動が活発化の一途を辿っていた。
 結局、国共合作が破れて国共内戦が再発したのは、1938年7月の事だった。
 武漢などで蜂起した共産党軍は、ソ連の軍事支援を受けており、緒戦で各地の国民党軍を破った。
 慌てた蒋介石は、党務を統括する陳果夫、陳立夫兄弟に党内の共産党シンパの粛清駆逐と、腐敗した者達の粛清を行わせ、またアメリカに泣きついて軍事支援と軍事顧問の派遣を求めたばかりか、日本にも軍事顧問の派遣を要請した。
 これにアメリカが軍事顧問を派遣したものの、ルーズベルトの非戦の公約もありアメリカ軍が直接部隊を派遣することは流石になかった。
 しかし、参戦したアメリカ人義勇兵が一定数いた。航空部隊や地上部隊など、合計4個師団に及んだという。
 アメリカも大恐慌から十分には立ち直っておらず、ニューディール政策をもってしても失業者を無くしきれていなかった為、こうした義勇兵募集に応じることで職にありつこうとする者も結構な数に上ったのだ。
 これによるアメリカの影響力増大や、共産党の強大化で満州が圧迫されることなどを恐れた日本も、中国に軍事顧問団を送り込んだ。
 対抗するように日本も義勇兵を集めて、一個師団程の兵力を送り込んでいる。
 こうした軍事顧問団や義勇兵の効能は著しく、一時は長江以北全域を支配し、他の地域でもゲリラ戦などで中国を揺るがす勢いだった共産党の動きはかなり抑えられ、国共内戦は膠着状態となっていた。

 こうして国共内戦が再発していた頃、ナチス・ドイツも着々と周囲に手を伸ばしていた。ズデーテン地方やチェコスロバキアを勢力下に加え、オーストリアを併合していた。
 欧州情勢は風雲急を告げ、ナチス・ドイツやソ連の膨張主義政策が世情の不安を呼びつつあった。ベルリンオリンピック後、ヒトラーの誇大妄想的な戦備計画はドイツ経済に過大な負担をかけ、戦争か、不況かの2択となっていた。
 しかしイギリスやフランスは先の大戦の影響もあって積極的な武力行使には消極的で、その間に勃発したのがスペイン内戦であった。

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