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吹けよ暴風、荒れよ台風
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吹けよ暴風、荒れよ台風 3

 あまりの事に、従来の尾輪式から機首に車輪を設けた主車輪式にして、重量負担を変更する案も出され、試作四号機以降は機首車輪式で開発された。
 社内でも、アメリカかイギリスかドイツの四発機をどうにか輸入できないかという話も出されたものの、イギリス・フランスとドイツの対立が激化する中ではどの国との交渉も難しくなっていた。
 そんな中、この機体の開発に参加していた本庄季郎技師がある提案をした。
「主脚2本で駄目なら、4本でいけませんか?」と言うものであった。
 当然機体重量の増加と構造の複雑化を招くが、彼はこうも言った。
「十二試陸上攻撃機の主脚を流用すれば、いけます」
 十二試陸上攻撃機とは、後の一式陸上攻撃機である。部品共通化で補修部品の供給も容易にできるので、欠点を埋めうるとして当座の解決策として採用された。
 彼としては、十二試陸上攻撃機は四発化しないと防弾装備が不十分になり被弾しやすいとして四発化を提案したものの、海軍からは議論なく却下された悔しさがあった。前線の兵士達にも申し訳なく、そこで四発機開発の実績を、何としても積み上げて今後の新型機ではちゃんと防弾装備ができる機体を出せるよう、技術と発言力の両方が欲しかったと後に語っている。

 この頃の日本国民一同は、短期決戦での対支戦勝と、それに続く皇紀2600年--西暦1940年--に開催予定のオリンピックと日本万国博の準備や、それに伴う各種公共投資で景気が少しずつ回復していくのを実感し、大恐慌からの立ち直りを喜んでいた。
 大陸では長城以南からは日本がほぼ手を引いた形になった事から、満州は日本が、中国はアメリカが、それぞれ投資先として分割するような形となった。
 そこで日本もアメリカの対中投資の拠点としての存在価値を増しつつあった。
 そんな状況ではあったが、米中にとっては暗雲が立ち込めつつあった。
 長城以北の満州国に日本が引き籠った形になったために、日本という共通の敵を失った国共合作は、日中講和から半年も経たないうちに崩壊寸前になっていた。

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