吹けよ暴風、荒れよ台風 2
短期決戦の支那事変は、確かに経済を刺激し大恐慌から続く不況から日本をある程度建て直す効果があった。だが、戦争は短期で終結。次の公共事業を探す必要があった。
そこで、オリンピックが俄然注目され始める。
駒沢ではメインスタジアムの建設が開始され、晴海では万博会場として埋め立て工事が進むなど、今度はオリンピックと万博に向けて人心がまとまり始めた。
そんな中、名古屋の三菱のエンジン部門では、野心的な構想が練られていた。
既に開発していた「金星」や、それを小型化した「瑞星」、逆に機構を流用して大型化した「火星」と並び、「火星」をさらに大きくした22気筒エンジンの開発である。
最初は、日本でもオリンピック観光客を運ぶ大型旅客機を国産化するという目標で、そのためのエンジンを作るつもりでいた。
試算の結果、1500馬力の火星一〇型でも大型旅客機や大型飛行艇にはやや厳しいという結論になり、また中島で18気筒の2000馬力エンジン「護」を開発しているという情報も入り、「火星」の強化策が3つ提示された。
まず一つ目が水メタノール噴射による高馬力化であり、二つ目は「火星」の18気筒化であった。前者は火星二〇型、後者がハ42こと、「木星」であった。
三つめはさらに野心的で、「火星」「木星」を元に複列22気筒とした2400馬力エンジンであった。
この間、川西は九七式大型飛行艇を開発していたし、中島は海軍の命令でDC-4Eを入手して陸上攻撃機「深山」の開発を行っていた。
三菱としても対抗する必要もあり、またオリンピック需要を見込んだ新型旅客機として、初の独自開発の四発旅客機「MC-40」を開発していた。
だが、「深山」は元にしたDC-4Eが失敗作だったことから、開発は難航した。
「MC-40」は三菱としても九二式重爆以来の四発機であったこと、野心的に独自開発を狙ったことで、開発は難航する。
中島はDC-4Eが失敗作であるにもかかわらず、その欠点を十分に認識・是正できないまま模倣してしまっていた。
三菱は、収容力を高くとった葉巻型胴体はうまく作れたものの、四発機の大重量を支えられ、なおかつ引き込めるランディングギアを開発する段階で苦戦した。