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太平洋の荒波
その他リレー小説 - 戦争

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太平洋の荒波 34

潜水艦部隊は、ソ連降伏後も続く英米間輸送では船団方式を採用していたものの、インド洋ではまだ独航船もあった。まず独航船が犠牲になり始め、次いで爆撃兵団向け船団への攻撃も行われ始めた。
日本海軍の潜水艦乗りには「輸送船に魚雷はもったいない」というような風潮があった。魚雷よりも輸送船や積荷の方がよほど値が張るのだが・・・・・。そのためか護衛艦艇が狙われがちだった。
その間にも潜水艦部隊は漸次増強されていた。
ドイツ海軍の助言を受けて、通商破壊用の量産性優先の中型潜水艦の大量建造がスタートしたのだ。

同時に、船団襲撃部隊が臨時編成された。
戦艦「扶桑」「山城」、空母「隼鷹」「飛鷹」を中核とする部隊であり、両空母には合わせて零戦27機、暴風28機、九七式艦攻18機、九九式艦爆18機、二式艦偵が8機、搭載されていた。
暴風28機というのは、この時期の日本軍としてはやや無理をした数字で、暴風は増加試作機と初期量産機が混じっていて試作機ではエンジンが火星二一型なのに対し、量産機では火星二六型を搭載していて若干出力が向上していた。また、試作機にはロケット弾装備可能な機体も4基含まれていた。
再建中の岸和田工場では、生産ラインの損傷が主で開発施設の被害は乏しかったため、陸軍名称ハ104と呼ばれるエンジン(海軍機にも搭載することになった為、海軍名「木星」が与えられた)を搭載した型も開発が進んでいた。
暴風を邀撃用戦闘機として考えた場合、攻撃力と頑丈さ(対艦爆撃時の弾幕射撃を潜り抜けるため、コクピットなどには装甲が為されていたし急降下爆撃機として機体強度も高く造ってある)は問題なかったが、肝心の速度と高高度性能はやや不足と判断されていた。
そこで最高時速620kmを狙い、1900馬力以上を叩き出すハ104「木星」の搭載型が開発されていたのだった。

ところで、なぜ大型水上艦艇までが船団攻撃に投入されたかというと、護衛空母の存在が大きい。
当初の船団にはコルベットや駆逐艦が随伴しているだけだったが、カサブランカ級などの護衛空母を付けるという情報がアンヘル・アルカサール・デ・ベラスコ率いる在米スパイ網からもたらされたのだ。
日本軍首脳は驚いた。護衛空母は大西洋のUボート退治か、米軍の反攻に備えて後方で働くか、この2つの任務に用いられていると思っていたからだ。
実際、当初は米軍も機動部隊相手には護衛空母では荷が重いとして、太平洋方面の前線への投入は控えていた。
だが、潜水艦による攻撃・被害の増大によりそうも言っていられなくなった。
日本軍が「隼鷹」「飛鷹」をシンガポールに送り込んだ頃には、護衛空母付きの船団がインド洋に入ろうとしているところだった。

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