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太平洋の荒波
その他リレー小説 - 戦争

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太平洋の荒波 32

実際、大阪航空工業では自社開発機だろうと他社開発機だろうと、ボルトを始め諸部品の規格を統一し、部品メーカーに共通規格を徹底していた。
アメリカ機のように「ある機種の部品をランダムにかき集めて1機組み立てられる」ところまではいかなかった(当時はイギリスやドイツの航空産業もそこまで部品の精度を揃えることはできていなかった)が、それでも九八式練習機と「暴風」とでボルトなどは共通化可能な箇所はすでに共通化されていた。
 
「『暴風』・・ですか。」
村雨中尉が言った。
「そうだ。航空機だろうと水上艦だろうと打ち倒し撃沈する悪夢のような台風の如く、相手を叩き潰す。いい名前だろう?」
その言葉に、搭乗員たちがざわめく。
森里大佐の後ろでは、貝塚飛行場の3000mもある長大な滑走路複数が広がり、手前の滑走路を1機の暴風が離陸して行くところだった。
「おお・・・確かに強そうだ。」
「こいつが揃えばアメ公なんざ怖くないですぜ。」
「なるほど・・・・承知いたしました。」
どうやら『暴風』の名は搭乗員たちの気に入ったようだ。

さて、日本の知らないところでアメリカ軍はその強大な生産力をフル回転させ、B17を大量に生産していた。さらにB29も史実より早く5月に(史実では9月の時点で初飛行)実戦配備された。
成都に多くが配備され無謀にも日本本土空襲を企てていたのだ。なぜここまで急いだ本土空襲を狙ったかというと、ヘイウッド・ハンセル准将が十三試艦戦「暴風」の出現に脅威を抱いたからである。
5月末から数回の写真撮影の後、6月1日にB29が北九州を爆撃し、軍需工場を徹底的に破壊した。6が3日には台北が爆撃され、約900人の犠牲者を出した。
「月光」戦闘機も多く飛び立ったが、まだ数が少なく、逆に多くが撃墜されるという悲惨な有様であった。
「十三試艦戦の九州配備を一日も早く実現してほしい。」
なんと北九州からではなく、鹿児島の鹿屋基地から岸和田工場に直接連絡が来た。
一方、中国各地の基地から成都への空襲も始められた。
6月20日、日本海軍の一式陸攻90機が爆撃に向かった。しかし航続力等の問題から単調な爆撃に終わってしまった。それでも49機の大型爆撃機を破壊した。
しかしアメリカ軍は昆明から日本軍の中国における航空基地とを次々に攻撃、破壊していった。「暴風」の配備が必要な基地が増えていった。
しかし、逆に国内では岸和田工場が工作員によって爆破されるという事件が発生し、「暴風」の生産が大きく遅れてしまった。

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